助産院とは何か?

調べ物をしていて知った助産院のホームページがあり、またいろいろと考えてしまいます。
助産所助産院)、更に言えば助産師に私たちが何を求めているのか?
その私たちの求めに答えた結果が、医療従事者でありながらも、情報の殆どが民間療法や食養、そして、霊的な話しなのか?
霊的なことをはっきりと言及しているサイトは多いといえないけれども、運命だとかで語るのも似たようなものがあるし、カリスマ美容師というとまだなんとなくその技術にカリスマ性を感じられるけれども、カリスマ助産師というと、私の場合は技術的なことよりも、何故か宗教的な方向を感じてしまう。これは気のせいでしょうか。

最近はこういうサイトにであっておもうのが、むしろわかりやすくて有り難いとおもうべきかも、ということ。
こういう助産院は危ないって言っても、そうおもわない人は他のサイト(反対側)を見なくなるから、もう届かない。
特に、今回出会ったサイトの中で一番怖いとおもった場所は、出産を扱っているわけではなく、新生児以降を対象としている。調べていると、ご年配女性にも施術している写真もあったので、下手したら孫と一緒に楽しんで通っている可能性も否めない。
体が快くおもえる施術は否定しないけれども、そこが「助産院」としていること、それはいうなれば助産師という国家資格を掲げて集客をしていることとその内容が伴っているのか? という疑問。
子どもの病気などについてもすごく意見を出していて、そういうのも助産師という肩書きが…なわけで。

私たちが何を求めているのか、それへの答えだとしたら、私たち自身がまず考え直さないといけないとならないと、つくづくそうおもいます。

某有名人同士のご夫婦。

奥さんが妊娠中で出産も近いんだかなんだか。
元々、妊娠することからして話題にしていたので、妊娠から出産まで・・・多分、産後もずっとこういうことを話題にして、新しい何かを提案しているつもりでいらっしゃるのでしょう。
最近は胎盤を食べることを希望とされ、バースプランに入れたとかなんだとか・・・。
みなさんはどうでしたか? みたいな問い掛けをしているもんだから、コメント欄には参考にして欲しいという感じの書き込みもたくさんありました。
中にはお産は命がけなんだから、そんなことを話題にしないでというご意見もありましたが、パーティ気分が圧倒的で、あっという間に埋もれてしまうでしょう。

有名人じゃなくてもなんでも報告する世の中になっているので、制御不能な状態。
更には、本来ならば命がけで、まずは子どもの無事を祈るはずの親側でさえ「楽しい」ことが良いことだとなってしまっている状態なので、多分、私が琴子を出産したときよりも軽く扱われているとおもう、胎盤も産む場所も。
医療従事者の方達は安全確保が大変だと言ってくれていても、自宅で産みましたーな報告がこうも軽々しくされてしまうと、「いざとなったら病院へ」が増えるばかりで、病院外で働く助産師の方達(&関わるメディアや某資格の所有者も加えて)の指導が問題だとおもえてならない。


いつだったか、このブログに産科医の方が
胎盤を食べるのはおりものをご飯にかけて食べるようなもの
というようなことを仰ってましたが(書き込んでくださったコメントをみつけられない)、本当ですよ、良い解釈だけで切り取らず、カニバリズムだということも考えてみて欲しいです。

って、無理だろうなぁ、あのような方は「常に話題(ブーム)を作ってしまう自分」っていうのにうっとりしているのだから、視野が広いようでいて、狭い。

「ポジティブシンキング」が正しいわけではない

某タイムラインで頻繁に
「明るく」
「前向きに」
「笑顔で」
とか、
「辛いことも気の持ち様で〜」
といった内容があり、ほぼ毎日、このような意見が書き込まれていました。


人はお互いに明るくて前向きで笑顔なことは望んでいることも多く、そして好まれることだとおもいますが、私はこういうの、不自然な要求におもえてならず。

琴子が亡くなってから1ヶ月も経たぬ頃に、近隣に住む知人が様子を見に家に来てくれたのはありがたいのですが、泣いていた私を見るなり、「まだ泣いているの?」ときつい口調で言ってきました。
このブログにも時々、「いつまでも死んだ子どものことを引きずって、死んだ子どもが浮かばれない」的なことを書き込まれる方もいらっしゃいます。

価値観の押し付けというか、やっぱり、経験からしか知識は生まれないのだと痛感するばかりです。

明るく生きることは、人にお願いすることではなく、自分が実行していればそれで良い。
「悩み苦しむ」というのは、私からしたら前向きなことでして、愚痴をこぼすのも、前進したい気持ちがあるからこそにおもえる。

笑顔は大事なことかも知れないけれども、そのときに、誰かが抱えている問題を端へ押し遣るほどに大事なものでもないとおもう。


「明るく」
「前向きに」
「笑顔で」
とか、
「辛いことも気の持ち様」
…なんとなく、本当の優しさは欠けてしまっているような気がして、目にするたびに不快なものが残って、溜まっていってしまう。

辛い時には思いっきり泣くし、気が済むまで話を聞いてくれる人が必要だったり。


タイトルに書いたように、「ポジティブシンキング」が正しいわけではないと思っています。元気でなにも問題ないとか、大したことない状態だったり、解釈にも個人差あるし、本気で受け入れられない人にとってはストレスでかえって体に悪いし。

妊娠、出産の情報だって、自分に都合良い解釈で前向きになってばかりいると、私の琴子が死んでしまったように、リスクが見えなくなってしまうこともあるし。


後ろ向きと言われようと、どうであろうと、リスクについてはもっと私たちに伝えて欲しい。

辛いことは気の持ち方を変えても、辛いんです。簡単に変えられないことだから、辛いのです。

いつでもどこでも泣かないようにブレーキをきかせて頑張っている人もいるので、できれば、「いつでもどこでも笑顔で明るく!」にもブレーキをきかせて欲しいなぁと、なぜだか久々の更新がこんな話ですみません。

立ちはだかる壁

知人が職場の上司よりとある新興宗教への入信をしつこく迫られていて、困っているそうです。
その宗教の中では『1回 1000円』払うと、いわゆる“霊視”のようなことをされ、必要であればお祓いのようなものをされるそうなのです。知人は子どもが多いので、水疱瘡だの発熱だので休みが多くなってしまうと、それを子どもの人数分払ってしてもらえば「水疱瘡にも病気にもならないんだよ」と言われたそうです。

呆れてものが言えません...
しかし、同時に怒りも湧いてきます。宗教というのは人を救うためにもあるのだと思っていますが、その“救う”ということを悪用している典型ではないかと。



助産院の問題はこれらの問題と非常に似たものを感じることがあります。

「元はと言えば、医師が私たちから奪ったのだ」

病院勤務の助産師ふぃっしゅさんのブログからです。
院内助産とは 7 <産む人にとってのイメージ>

自宅出産>助産院>院内助産

これが格付けのようなものだとおもいます。もしかしたら自宅出産の前に

無介助分娩>

があって、“夫婦・家族だけでやり遂げました”みたないものもあるかもしれませんが、今日は見えないことにしておきます。


私は開業した助産師の方や、ふぃっしゅさんがいうように

助産院あるいは院内助産院をユートピアのようにとらえて、病院での出産と対峙させていく、いつの間にかそういう感覚が病院出産を選択した方たちの中にも広がっていくことが心配です。

の、正にその渦中の“そこで産んだ人たち”から発せられる言葉には


「元はと言えば、医師が私たちから奪ったのだ」


という女性の気持ちが込められているように感じるからです。
出産は女性が本来持つ自然に備わった力でとか、助産師は女性だから妊産婦のことを誰よりも理解できるとか。特に助産師は女性だからというのは、同じ女性でも出産経験のまだない助産師の方でも仰ることがあります(私は「産んだこともないくせに」というつもりはないので、ここは誤解して欲しくないです)が、これは「医師に男性が多い」ということをさりげなく否定する材料にするために用いられているようにおもっています。

戦後もしばらくは自宅で産んでいたとか、そういうのも「産婆だけでやっていられたことだ」と言いたいわけで、常に病院での出産には否定的な話が散りばめられています。


医師に委ねたのは、当時、助けられるなら助けて欲しかったと苦しんだ、亡児の母親たちの想いも強かったからだと私はおもっています。“便利になった”という気持ちもあったとおもいます。様々な想いがあったとおもいます。それは奪ったのではなく、委ねたのではないでしょうか。別に産婆が要らないとか、ダメだったとかではなく、「病院で一緒に」と想っていたのではないでしょうか。

くだらないけど問題に感じる場面 2

ぷぷぷさんのご意見を拝読しました。ぷぷぷさんなどのようにいつも私のことを気に掛けて、そしてこのブログをずっと読んでくださっている方には常に感謝しております。ありがとうございます。ただ読み落とされてることもやはりあるようで、ぷぷぷさんの場合はコメ返しに関して先入観が強くおありのようです。実は私もこの先入観によって、助産院や自宅出産、そして「病院や医師に頼らず生きる術」というものにこそ意味があるとおもってしまったので、先入観を持ち易い性格だと、きっとなかなか他の意見は受け入れ難いこともあるのではなかろうかと、当時の自分に重ねることもあります。


ここからが本題です。私が以前にMRICで実名を明かしたことにより、このブログが気に入らないという方達の書き込みの在り方に一つ変化が感じられるようになりました。
それまでは「匿名で語るのは卑怯だ」的な批判です。でも実名を出したら、今度はわざわざその実名を「相手を困らせたい」という意識見え見えで、それでいてご自身は匿名のままという稚拙さが伺える行動を選ばれるようになりました。

私は元々、ネットでの匿名(ハンドルネーム)は「匿名であって匿名でない」とおもっていますので、社会的な問題で活動されている方が匿名であっても、ハンドルネームでその責任を果たされていれば問題なしと考えています。なので、当ブログでは捨てハンドルとおもわれるもの以外で、悪戯に名を変えてる気配がないなら削除はしないと掲示しています。

意見が違うから、同じだからとかではなく、どうしたら助産院や自宅出産での事故を防げるのかについてもご意見いただきたいです。病院やその他への批判はそれぞれに専門的に書かれてるブログやサイトがありますから、そちらでされるべきですし、社会全体のバランスをこのブログ一つでとろうとおもっていないことは、過去にも当ブログ内できちんと述べていますが、ここら辺も読み落とされている場合があるようです。

ぷぷぷさん個人への意見ではなく、ぷぷぷさんと同じような方たちへの意見とおもってください。


このような問題も含めた自然分娩至上主義問題です。
これからもよろしくお願いします。