元栃木県支部長Y

酷い助産師はHだけじゃない。

2003年の9月、まだ琴子を失って日が浅い頃に、地元の友人(といっても今では絶縁したけど)で数年前に助産院で出産をしていたSが、自分が世話になった助産院の助産師は助産師会の栃木県支部支部長で、話を聞いてくれると言っていたから電話してみたらと、当時の支部長のYの電話番号を教えてくれた。


電話をしてみると、Yに電話をしたことをすぐに後悔した。

「私はあなたの話を聞く立場にないとおもいますよ」

「あなたが自分で選んだことですから、仕方のないことではないですか?」

と、何度も繰り返して言うのだ。

子供が死んでしまって、それもHの事前の説明とは全く違う事態が生じているのに「仕方がない」なんて、近所の人たちとの会話でならまだ我慢というか、そういう価値観なのかと会話を止める気にもなるが、助産師という職業の人が、それも栃木県の支部長ともあろう人が言う言葉…これが実態なんですよね。

「私はHさんのこともよく存じていますし、自分の手では間に合わないときには産婦さんを紹介したこともあるけど、あなたの場合は私が見たこともない産婦さんですからね」

と、私は一体何を言われているのか、あのときは本当に信じられないくらいにショックな言葉を繰り返されて、電話をどんな言葉で締め括って切ったのかさえ記憶がない。

あぁ、やっぱり私が悪いって言われてしまったと、夫に泣きながら訴えた記憶がある。

夫だって辛いのに…あの頃は毎日が真っ暗で、昼間、どうして外が明るいのかさえも不思議でしょうがないくらいだった。


今、私はこのYのことも訴えようかと真剣に考えている。

現役の支部長ではなくなったけど、去年かな、私が日本助産師会

「栃木県支部では今はHのことはどういうふうにとらえているのか」

と聞いたことがあり、そのときに助産師会の人がYにも連絡したのかな、いきなりYから電話が来て、

「今ならあなたの話を聞いてあげる」

と、平然と、よくもまぁ。

私は2003年のあの頃よりも正気になっていたし、怒りも十分に処理できる力を得ていたから、言葉で責めた。

Yは言い訳がましいく反論してくる。

こういうとき、どうして素直に反省してくれないのかなぁ。

子供を失って辛いおもいをしている母親を罵ったくせに、それでもまだまだ私は正しかったと、本気でそうおもっているのか?

時々、このYのところで出産したという人に出会う。

まぁ、まだYは逆子は断ると言っていたらしいからマシだけど、Yのところで2番目を出産したという母親と会話していた時に、

「Yは自分のところでは会陰が傷付いた人は一人もいないって言っていた」

と得意げに言ったら、自分も助産師の資格を持つという母親とも同席していて、その人が

「Yが本当にそう言ったの? だとしたらYは嘘つきだよ、傷は自然につくこともあるし、オーバーに自分を評価しすぎている」

と、さっぱりと斬り捨ててくれたのだ。

こういうときに気分が良いことと同時に、私はどうしてこういう正しい中庸な意見の持ち主に出会えなかったのかと悲しくもなる。

私は助産院で産んだということを自慢気にして人に話している母親と出会うと、その場の雰囲気には関係なく、琴子の話をきちんとしている。

子供が死んでしまった話をいきなりされて、中にはびっくりしてその場を去りたい人もいるかもしれないけど、だからって私が黙ってしまったら、やっぱり助産院で産むのって良いなぁという、私があの頃に描いていた夢を誰かにも描かせてしまうことになるから、遠慮せずに話すことにしている。

だけど、自分の経験までの知識しかないから、助産師の資格を持っている人がこうやって正しい情報に修正してくれるのは、本当に嬉しいことなのだ。


私はまだ、Yの言葉や声を思い出しては心が締め付けられるように痛むときがある。

YはHが訴えられたことを知っているだろう。

原告が私だということも知っているだろう。

まさか自分が人をここまで苦しめていることは知っているのだろうか。

あれが本当に支部長として正しい振る舞いだったと、そう信じているのだろうか。

助産師という職業は、それほどまでにいい加減で構わないというのだろうか。

Hを訴えただけでは何も変わらないのではないか、疑問と不安も生じている。