中原中也―亡児への想い

私の母方の祖父は本が大好きで、書庫を持ち、かなりの量の書籍を書庫の中に収め、生前の口癖が

『俺が死んだ後に本を処分したら化けてでてやる』

でした。

孫の私達は祖父には大層可愛がられたけど、書庫に入ることだけは許されず、祖父が先立ち、祖父の口癖に忠誠を果した祖母が亡くなるまで、同居していた叔父までもが立ち入ることのなかった書庫。

数年前に祖父の13回忌を迎え、一区切りとして書庫が開放され、遺品として分配されることになった。

祖父の血の影響か、私も本が好きな方で、祖父の書庫に入るなり、その本の多さと趣味の良さには感動し、「あぁ、私は孫なのだ」と実感したのだ。

私が大好きな作家の本がずらりと並び、その殆どが初版の貴重本。

こんなにも素晴らしい書籍を今まで陰にしていて、祖父は間違った遺言を言ったものだと家族と話したりもしていた。


私は中原中也の詩を知らない。

タイトルだけを知っていて、それ以上の興味を持ったことはなかった。

祖父は中也も好きだったようで、私は興味はないけど、中也に関する本は全部頂くことにした。

そして頂いてからも、ただタイトルを眺めるだけで、読むことは一切なかった。

旦那は何処で知ったのだろうか、旦那自身も中也の話をしたことなどなかったのに、琴子が死んでから数日後、私の本棚の祖父の遺品コーナーを漁り始め、中也の本を手にして自分の仕事の部屋に篭ってしまった。

どうしたのかと聞くと、中也も子供を亡くしているので、中也の本を読みたくなったのだと言う。


旦那に習って、私も中也の本を読んだ。

中也の母親が書いた『私の上に降る雪は』には亡児・文也(享年2歳)とのことが触れられていて、中也の母親の言葉はあっさりとしているのだが、当時の中也の心がよく伝えられていた。


中也は愛息をなかなか棺にいれようとはせず、周囲の人も気の済むまでとおもって見守っていたのだが、いつまでも離さないので実母が説得して諦めさせ、愛息の遺体を棺に入れたという経緯、葬儀を出した日からは毎日仏様の前に座り、しきりに拝んでいて、四十九日の間は毎日お坊さんに来てもらい、お経を読んでもらっていた。

そして毎日、お坊さんと長時間話しこみ、お坊さんから頂いた般若心経のお経本のなかに聞いた話を書き込んでいたそうだ。

そして、長男である愛児の文也が亡くなったとき、奥さんは第二子を妊娠中、臨月を迎えていて、長男が亡児となった翌月に次男を出産している。

しかし中也は長男の死がきっかけとなり、神経衰弱、そして死へと向かう。

中也が亡くなったのが確か長男の死後2年後のことで、中也の死後、更にその年の内に次男・愛雅も亡くなっている。

ここでは中也を中心とした話なのだが、中也の妻の気持ちは想像を絶するものだったろうし、息子を語る実母の心もまた、同じだったのだろう。


ここに中也の亡児への想いを感じる詩を紹介したいのですが、著作権の問題等を考慮して…

『また来ん春…』 /中原中也


祖父がこの中也の話を読んだ時、どんな想いを抱いたのだろう。

祖父には亡児はないと聞く。

祖父はまさか孫の私が亡児を想う日々を送るとは、幼い頃の私しか知らない祖父は想いも寄らないことだっただろう。

当事者の私がそうなのだから、祖父は天国で驚いていただろう。

祖父の遺品が旦那や私の心を慰めてくれた。

悲しいことだけど、おじいちゃん、ありがとう。