子供を失った私達 夫婦の関係
私が感じるままに綴りますから、「うちは違ったよ」というご意見もあると承知していることを、先にお伝えしておきます。
琴子が死んでしまってから、一時は夫婦の関係は最悪になっていた。
今となっては、その日々も含めて、二人で乗り越えてきたと言えるのかもしれないけど、当時は子供も死んでしまった上に、旦那とも上手くいかなくて、離婚まで考えて、悔しくて悲しくてたまらなかった。
旦那の苛立ちや怒りの原因が“琴子がいないこと”というのはわかっていても、それがどういう経路や思考で私との衝突、果ては離婚までとなるのかは未だに不明。
だけど、私自身の気持ちなら、今でもよくわかる。
『琴子がいない』と言うと、心無い人によっては、
「元々いないんだから、あんまり引き摺る方向で考えるのはよしなよ」
と言うかもしれないけど、お腹の中にいたあの子を泣かなかったからといっていないものと考えられるわけがない。
だから、妊娠中には既に3人の暮らしが始まっていて、出産を終えたら、見るからに3人の暮らしが始まると信じていた。
それが、産んだら二人になってしまった。
見るからに二人のままになってしまった。
私は旦那といると辛いという気持ちよりも、二人でしかいられないことが寂しかった。
琴子がお腹の中で大きくなる前までは、何処に行くにも二人だし、何もかもが二人だったから、二人でいることに苦痛はなかったのだけど、琴子が生まれればもっと楽しくなると想像していた日々にいざなってみると、あるべきものがなくて、もう二人きりの生活には戻れないということを自覚するばかりの日々だった。
だから、夜になって、旦那と夕食を食べる時間を迎えるのが怖かった。
一人っきりでいることも辛かったけど、二人っきりも辛かった。
どうせ辛いのなら、一人になりたいと、私も離婚を何遍も考えた。
だからだろうかな、天使ママ&パパさんたちの中には、時々離婚される方達もいる。
私はそれも当然の結果のように思えてしまう。
子供を失い、『戻れない』ことへの苦しみは多くある。
時間も戻れないし、夫婦の気持ちも戻れない。
同じ“悲しい”でも、表現の仕方も違うし、受止め方も違うし。
あるとき、「皆には見えなくても、琴子は近くにいるんだから、三人家族なんだ」とおもえるようになった。
それからは、旦那といるのも苦しくなくなったけど、申し訳ないという気持ちは今でも残っている。
琴子を無事に産めなかったことを、私は心の中でいつまでも申し訳なくおもっている。
最近の私達を見て、当時をよく知る方から
『夫婦二人で力を合わせてがんばってきたね』
と言われることがある。
一応は「はい」と答えるけど、実際は違うのだとおもう。
夫婦二人で力を合わせたことよりも、夫婦それぞれ、全く違う感覚でいたからこそ苦しめ合ったりしていたことの方が多かったとおもう。
どっちも苦しいから衝突するし、攻撃もする。
私は旦那を同志のようにもおもっている。
地獄の日々を共に歩んだ同志。
琴子を想い続ける同志。
そう、私達は夫婦と言うより、同志という方がピッタリなのかもしれない。