琴子の死
今夜はやけに悲しいです。
今日はネットで天使ちゃん達のサイトをウロウロしました。
時々しているのですが、天使ちゃん達のお話を読んでいるのです。
何遍も読ませて頂いているお話もあれば、新しく天使ちゃんとなったお話もあります。
どの子のお話も、ママとパパの愛情にたくさん包まれて、切なくて悲しくて、そして愛しいお話です。
どの子も皆、『生きていて欲しかった』という、両親の切ない想いに包まれています。
そして、天国で元気で、楽しく過ごしていて欲しいという気持ちが溢れています。
私の子供が死ぬなんて、私には全く予想が出来ませんでした。
逆子だったからとか、助産院だったからとか、どうだったからとか、そういうことを一切抜きにしても逆さにしても、とにかく私が子供を失うことを経験するなんて、全くおもってもいませんでした。
卵巣の腫瘍が破裂して緊急入院したときに、「もしかして自分はこのまま死ぬのかもしれない」とおもったことはあるけれど、自分の子供が死ぬなんて、全くおもうことがありませんでした。
テレビとかで悲しい話を聞いて涙することはあっても、自分が同じようなことを経験するとは…
テレビとかで知る悲しい話以上に、そのときに涙していたとしても、想像では及ばないほど、辛いことです。
子供が生きているって、凄いことなんです。
お産がどれほど辛いことでも、生まれてくる子供が生きているってことに感謝して欲しい。
自分のお腹が痛かろうとなんだろうと、そんなことはどうってことない痛みです。
お腹の中で亡くなってしまう子供のことを想ってください。
亡くなってしまった子供を産むお母さんの痛みを想像してみてください。
多分、想像だけでは追いつきません。
でも、想像だけでもしてみてください。
やっとのおもいで産んだ子が死んでしまっていたら…
生きて生まれたけど、すぐに死んでしまったら…
生まれたときには何も問題がなかったのに、死んでしまったら…
昨日までは元気で生きていたのに、朝目覚めたら死んでしまっていたら…
陣痛は痛いでしょうよ、妊娠中にしんどいこともあるでしょうよ、もし、心の中には自分の痛みのことしか庇えない気持ちがあるとしても、もっと辛い気持ちを抱えている人のことを想って、口に出さずに堪えてみてはもらえないだろうか。
きっと色々と辛いとはおもうけど、死んでしまっている子供を産む辛さ、胎内ででしか生きられないとわかっている子供を産む辛さ、病気を持っていると既に承知して、これからの日々に挑む気持ちを抱えて産む親の気持ちなどを想えば、その痛みは大した事はないでしょ?
琴子が死んでしまったことは、今でも私の中では恐怖です。
琴子が死んでしまったことは、今でも私の中では“悪い夢”であって欲しいことです。
琴子が死んでしまったことは、これが現実なのだと、受け入れている自分もいます。
ずっと私は“死んでしまった琴子の親”です。
自分を責め、他人を責め、『どうして琴子は死んでしまったのか』と、もしかしたら琴子のことすら責めてしまっているのかもしれません。
天使ちゃん達の話も、琴子の話も、悲しくてたまりません。