宮崎県に行っていました。大変でした。

旦那の仕事に便乗し、12日間という、長期の宮崎旅行(旦那は出張)に行ってきました。

到着した日から雨雨雨…旦那の雨男はかなり激しく強いものらしく、宮崎県の方が驚くくらいに、この季節にしては長い雨の日々だったようで、結局、10日間くらいは雨だらけでした。

友人の家に住まわせてもらっていのたで、経済的にはかなり助かりました。

ただ、晴れてくれればもっと楽しかったのに…琴子、水撒き過ぎッ!


宮崎県は食材は山のものも海のものも畑のものも牧場のものも、どれもこれも美味しいのだけど、美味しい食堂はありませんね…

飫肥天なんかは、思い出しても辛いです。

甘いのです、どれもこれも。

味も濃く、油が凄い。

有名なチキン南蛮のお店も、最初の一口は美味しかったのだけど、途中からは辛かった。

宮崎の友人はもともとが関東の方なので、味覚は私たちと同じため、やはり色々と警戒していたわけで、その理由は、外食をしてよーくわかった。

宮崎の方、ごめんなさい、でも、関東の人間には辛いです…;;

ただ唯一美味しいとおもったのが、宮崎牛

宮崎市内で美味しい焼肉屋さんがあるというので、旦那の友人がわざわざ四国から来てくれた日に、一緒に皆で行ったのだけど、これは美味しかった。

そして、なによりも安い!!!

一人4000円であの内容は実に素晴らしかった。

あぁ美味しかったと、最後に食べた『紫芋アイスクリーム』も、自家製なのか、凄く美味しくって、大変満足して帰った…ら、翌日に…

まさか食中り?! と、わが身を疑う状況が勃発した。

朝から激しい下痢と、水を飲むだけでも吐くという状況下に陥った。

他の人は皆元気だから、これは食中りではないのかなぁ、でももしかしたら、私が食べた何かだけに?

もうしんどくって、それも、よりにもよって、日曜日。

旦那はそれでも仕事に行かなくちゃならないし、友人夫婦も仕事があるしで、私とリンズの二人っきりで寝込むことにした。

リンズは具合は悪くないのだけど、私が

「お願い、今日はとにかく寝ようよ」

と言っていたら、何故かよく眠ってくれた。

午後になっても吐き気も下痢も治まらず、なんだか異常なんだなっておもえてきたので、急いで旦那に連絡し、休日の担当医を調べてもらったら、タクシーとかでないといけないって言う。

四国から来た友人は、車とフェリーを駆使して来てくれていたので、友人に頼み、旦那にも一端帰宅してもらい、病院に行った。

そうしたら、症状を言うなり、

「旧州全域で流行っている、嘔吐下痢症だね」

と言われ、ビタミンなどの点滴を受けた。

朝から水一滴も受け付けられずにいたから、脱水症状が目前になっていることを自分でも感じていたので、点滴は恵みの雫のような気がした。


リンズにも当然、感染していた。

それまではまだ元気だったのに、帰宅後、いきなり嘔吐。

あぁ、病院で一緒にみてもらえばよかったかしらとおもいながらも、点滴のお陰でなんとか快復を感じていたので、なんとかしてみようとおもっていたら、リンズは嘔吐は1回で済んだ。

その後にいくらか下痢が続いたけど、それでも元気だった。

最悪なのは、翌々日に、お世話してくれていた友人夫婦の旦那さんに感染し、発病。

その翌日には私たちが帰る日であったので、最後の晩餐も出来ず、それでも翌朝にはいくらかお元気になってくれていれば…とおもっていたら、翌朝、旦那さんはいくらか快復していたのに、今度は奥さんが…

結局、感染しなかったのは旦那だけ。


発病する前に友人夫婦の奥さんから、

宮崎空港の3階にあるレストランのとんこつラーメンはまだ大丈夫な方だよ」

と聞いていたので、それだけを最後の楽しみとして空港に行った。

15:05発のSNAの便の予定で、友人夫婦も最終日には海でも見ながら帰ったら良いと計画してくれていたのだけど、友人夫婦はそれどころじゃなくなったしで、じゃぁ暇でも空港で時間でも潰すかと早めに出た。

空港に着いたのは11:20頃。

そうしたら、12:20発のSNAの便に空席があるからどうだと言う。

早く着く分には助かるということで、急遽、便の変更をお願いした。

そうなると、今度は唯一の楽しみにしていたとんこつラーメンを食べる時間がない。

私は空港で売っているお弁当でもいいかなぁとおもっていたら、旦那は意地でも食べたいと言う。

じゃぁということで、駆け込むようにして席に着き、メニューもろくに見ずにとんこつラーメンを食べたのが11:50。

12:10には搭乗手続きをしなくちゃと、本当に忙しいお昼だった。


無事に栃木に着き、ほっとしたら疲れもどっと出て、ここ数日はひたすら眠るばかり。

楽しくって、辛い宮崎でした。

うまくいったら、2年後にまた行く予定です。

色々と大変だったけど、決して嫌いではないです。

なぜなら、道行く人の殆どが、とっても優しい人だったから。

栃木のような田舎でも、他人同士はギスギスしていて、今日なんて、自転車に乗っている小学生同士がガチャガチャのゴミを道路で投げあったりして、結局捨てていっていたりしたのを見てしまったのだけど(注意できない私にも問題ある)、宮崎では、リンズを抱いて歩いている私を追い抜いていった小学生男児が、デパートの入り口のガラスドアをずっと開けて待ってくれていて…あれには涙が流れそうになった。

あの子には日本の首相になってほしい。

お年を召した方でも、心に余裕があるんだろうなぁ、とにかく、色々な場面で感動をさせてもらいました。

だから、あのこってりとして甘くて辛い外食文化だけど、また行きたくなっちゃうんだろうな。

さすがは神が降り立った地。


友人夫婦の家には電話がなく、今では安否の確認のとりようがない。

多分今頃はお元気な頃とおもうのだけど…

『無事デスカ?』

と、電報を送ろうかとおもう。


あと、こじつけるわけじゃなく…

帰りの飛行機の中で見た、雲の幻想的な風景を見て、旦那が嬉しそうな顔をしていたのが、私も嬉しかった。

お互いに言葉にはしなかったけど、空が綺麗なのは嬉しい。

そこが琴子達のいる場所だと信じているから。

写真をとっておきたかったけど、デジカメは駄目だそうで、残念、撮れませんでした。