いじめって…

あまりにも世間が早くて、『いじめ問題』をマスコミが騒いでいたのもちょっとずつ過去のことになろうとしているように感じる。

これだけ大きな問題を抱えているというのに、テレビでは殆どの時間がバラエティ番組に時間を割いている。


私は自分の子供だからとかという、そういう括りが好きではないのだけど、人が悪いことをしたときには、やはり親の責任というのは問われてしまうともおもっている。

この辺はまだ上手く表現できないのだけど、琴子の供養をし続けるのは私だし…これが親だからなのか、魂の繋がりなのか、純粋に言えば、私が琴子を愛しているだけだからなのかもしれない。


いじめがどうのと話すとき、私の周りの人たちの殆どが、自分の家に一緒に住んでいる子供がいじめられるのではないかという心配ばかりをしているような気がする。

それも確かに心配だけど、私はむしろ、リンズが誰かをいじめるかもしれないということ方が不安でならない。

別にリンズにその兆候が現れているとか、そういう具体的な事柄があってのことではない。

数の問題だけではないかもしれないけど、この世にはいじめられっ子の数よりも、いじめっ子の数の方が圧倒的に多い。

1人の人間が10人、20人をいじめているのではなく、一人一人が集団となって、1人をいじめている。

お子さんが自殺してしまった親御さんのメッセージを受けることは出来るのに、子供が人を死に追い遣ってしまった親のメッセージは聞けない。

人前に曝されろということではなく、問題を真髄から知ることがなかなか出来ない。

学校や教師を責めるような報道が多いけど、その子らを囲む家庭や環境、社会の持つ問題はどうなのだろうか。

テレビではタレント同士が面白可笑しく騒いでいる。

人が苦しんだり、痛がったりしていることを楽しそうに笑ったりしている。

ついさっきまでは報道番組でいじめを悪いことだと言っていたのに、次の番組ではタレントが別のタレントを“職業としていじめている”。

タレント同士は実際には仕事だと分かり合えているだろうから、本人同士には問題はなくても、見ている人たちにとってはどうなのだろうか。

それを『テレビのこと』と分かっているつもりでも、何かを刷り込まれてはいないだろうか。


リンズにきつくものを言うと、人が『まだ小さいのだから』と、リンズを擁護するようなことを言う。

それはそれで温かい気持ちのひとつなのかもしれないけど、その温かさはもっと後年で与えても良いものではないかとおもう。

リンズはもうじき2歳になるけど、咳やくしゃみをするときには、自分の口を手で覆う。

他には苦手なこともたくさんあるけど、どんなに言っても出来ないことがたくさんあるけど、私はしつこく言う。

英語なんて話せなくてもいいから、平凡極まりない人生で良いから、得意なことがなくても良いから、自分の命も人の命も同じなのだということを、当たり前のこととして身につけて欲しい。


世界平和をとか、いきなり地球規模で物事を量れとは言わないし言えない。

ただ、『自分さえ良ければ』とは、絶対に思わないで欲しい。


琴子がまたどこかに生まれ変わるときに、そこに厳しく接してくれる人がいてくれることを祈っています。

それは虐待だとかではなく、琴子がいじめっ子にならないために、しっかりと躾けてくれる人がいてくれますように…