医療について考えて

私がPCを開き、ネットに通じると必ず拝見している僻地の産科医さんのブログ『産科医療のこれから』より昨日の記事

「産科医は社会の望むレベルの「安全性」を担保できません。」

を紹介させてください。

註:引用箇所太文字

余談:昨日、途中まで書いて一旦保存して、そして眠ってしまって…これが医療の現場にいる方たちに申し訳なくて、目覚めたときに、「どうして起こしてくれなかったのだ!!」と、旦那に八つ当たりしました…色々と反省;;


先に述べれば、私はこのブログのタイトル通り、助産院について考えているわけですから、どうしても助産院の抱えるべき問題に頭がいってしまいます。


『でも本当のところ、訴訟の増加が私たちを追い詰めるのではありません。

医療訴訟の求める厳格すぎる医療への要求水準が、

私たちを追い詰めているのです。』

僻地の産科医さんが言いたいことからかなりずれますが、読んで抱いた感想は…

助産院にも、本当は要求水準が高くあるはずなんです。

でも訴訟をするにも、先に『自己責任』という壁が用意されているせいか、訴訟に至ることが回避されているようにおもいます。

そして、もしも助産院にはそんなに要求しないでというのであれば、それを助産師自らが、きちんと産婦さんに伝えるべきです。

「ここで受けられるのは…」

と、助産師会が連ねあげる条件伝達だけに留まらず、どんな些細な状況であれ、異常事態に繋がると予測出来ることがあれば、自然だとかにこだわらず、率先して病院へ連れて行くなど、とるべき行動が迅速に行えるように意識を高めておくことや、助産院の良いところだけを病院のお産との比較対象にせず、病院の医療から遠退くことをあえてすることを、現在の搬送の問題も、助産院で産むからこそ考えるべき問題を助産師自らが伝えて欲しいです。

それによって病院で産むという人を『意気地なし』のようには言わないで欲しい。


私は助産院より、病院の方が安全だということがありますよね(自分の記憶が一番頼りないのですが…)。

でもそれは、100%安全だなんて微塵にもおもっていないこともきちんと伝えたい。

今回の僻地の産科医さんの記事内容は、それをきちんと数字で伝えてくれています。

私の30分はなんの価値もないままに過ぎていく事の方が多いです。

人を一人も救わずに一生を終える可能性のほうが大きいです。

はっきり言って、短いです、30分は。

助産院からの搬送にかかる時間など、私が言わなくても既に色々なところで問題提議されているし、このブログでも触れたことはある。

何遍それを繰り返しても、繰り返すたびに「助産院では何かあったら病院に搬送しますから」で済ませられるのかになるし、特に医師の方たちが言うけど、本当にそうおもうのだけど、現代においては、搬送後の結果は助産師の責任にはなり難いという事実。

搬送にどのくらいの時間がかかるか、予測出来ない事態に陥っているということも、十分に説明をするべきだとおもう。

あえて医療から遠退く場で出産をする・させるのだから、不幸な結果への覚悟は相当に必要だとおもう。

当然、医療の場で産む人も、不幸な結果への覚悟は必要だ。

私はどんな場面であれ、助産院を自ら選択することはない。

つい先日も書いたけど、どんなに安全を保障されている助産院でも、選択しない。

医療が必要な場面を想定して、そこから遠退くことが出来ない。

医療が目の前にあるからといって、必ずしも助かるともおもっていない。

30分以内に帝王切開が出来たとしても、助からないこともある。

適切な処置を受けても、助からない結果がある。

もしも私が処置を受けながら意識がなくなり、“上から自分の最期を見ている”ときに、その場に居合わせてくれている医療従事者の方たちが必死に私を救おうとしている姿を見たら、嬉しい気持ちで死んでいけるとおもう。

先日の江原さんの『天国からの手紙』の中であった、ある保育園児たちの悲惨な事故死の現場で、その場に居合わせた女性が救急車が来るまで、誰が目にしても背けたくなるような子供達の姿なのに、一生懸命身体を擦ってあげていたそうだ。

それを今でも亡くなった子供達は感謝していると、江原さんはそう言っていた。

確か、その方のお陰で死んでいくときに寂しくなかったというようなことも。

同じだとおもう。

医療はそこにあるんだとおもった。


別に私は医療の全てを称えているわけではない。

正しくあろうとする医師もいれば、酷い医師もいる。

正しくあろうとする助産師と酷い助産師も。

看護師だって同様でしょう。

だから、全てを同じ次元で考えることは難しいけど、助産院での出産、自宅出産(家庭出産)を考えるときに、病院でもこれだけ危険を背にするお産に対し、何処まで自分が想像と覚悟をするかだが大事で重要だとおもう。


『そしてすべての「根本的な原因は、日本の特殊な医療システムを背景とした、24時間体制の不備に基づく。」

という長屋憲「妊産婦死亡防止のための周産期医療体制」の結論に私は深く同意します。


 

「当直」という耳触りだけのよい、しかし実態は「24時間体制の不備」であるシステムについて今一度考えなおしてみてはいただけないでしょうか。』

私たちに最善を尽くしてもらえるためにも、医療を受ける側が自分達のためにも考えるべきことだと、つくづく感じました。


僻地の産科医さんの記事をどうしても読んで欲しいという、一人でも多くの人に知って欲しいという気持ちと、読みながら感じたことを伝えたいという欲張りな気持ちのお陰で、かなりまとまらない内容になってしまいました。

後でまた書き直すこともあるかもしれませんが…