コメントより『学校教育について』
先日の当ブログ『母子手帳と一緒に配布して欲しい』に頂いた[出産経験のある医師さん]のコメント“学校教育”以下、皆さんの経験・意見を拝読していて、自分でもコメントを書き込もうとしつつ、文字数をかなりオーバーする勢いなので、管理人の特権、まとめる形でブログのお題にさせてもらいました
いつも少ない文字数に皆さんまとめて書き込んでくださり、ありがとうございます。
一応、書き込もうとしたコメントのままからで失礼します。
るんさん、出産経験のある医師さん、メイさん、なおさん、suzanさん、山口(産婦人科)さん、エドガーさん、こんにちは。
>すばらしい学校ですね。
まさにわたくしの理想!!
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- そうなんですか…、中絶のビデオを見せるまでをも含めてなんですね…
- そうなんですか…、中絶のビデオを見せるまでをも含めてなんですね…
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浦島太郎な気持ちとでも言いましょうか...喫煙される胎児のビデオは必要性を感じるけど、中絶のビデオまでなのかと、相当ショックです。
メイさんのように、妊娠や出産に対して恐怖心を抱いてしまうという話を別で聞いたことがあります。
それに反し、なおさんの学校のように、歯止めがきくというのもあるわけですね。
suzanさんの言うように、医師が望む回数、内容でしっかりとしたケアが出来ないというのは、中途半端な性教育と感じます。
きっと、教員資格を持っている人たちの世代によっては、性教育に対しての知識・認識もかなり差がありますよね。
専門医が最後まで関わるのが無理だとしたら、専門の教員をおく必要があるのではないかと(保健室の先生がそれなのかな?)、今の学校問題を考えても、これ以上、教師が性教育に関わるのも難しいというのが現状ではないでしょうか。
『きちんとした性教育』というのは、私は医師が最後までケアが出来るものなのではないかとおもいました。
やっぱり内容は過激です。
過激であるからやめろと安易に言えないのだともおもうけど、自殺、いじめと問題が山積みで、通常の授業もあって、教師の方に現状以上の性教育を望むのは過酷過ぎる。
そして、各家庭での教育のために、私たち親・大人も同じ性教育を受ける必要もあるのですね。
私はそれを見ていないから、子供にだけが中絶のビデオを見て、家でその話をされたら、フリーズします。
親も一緒に同じ授業を受け、医師も交えて一緒に論じ合えるようにする。
中にはやはり不妊症でその子を授かるのに努力をした話、流産して辛かった経験や、天使ママでもある親がいれば子を亡くした親の気持ち、私がいれば琴子の話と出来て、望まれない妊娠や中絶を悲しむ人の気持ちも知って欲しいです。
勿論、一緒に授業を受けている生徒(子供)が生まれたときの喜びも共に。
と、ここまでを書き、また自分でも読み返しまして、その上で気持ちの整理もして(これが一番苦手なので、出来ていないことが多いんですけどね;;)続けます。
内容を知りませんから、タイトルだけで続けることをお許しください。
正直、『中絶のビデオ』というのは衝撃的です。
そこまでしないといけないのかと、ショックでもあります。
でもこれは、一般人であれば当たり前の感想ではないでしょうか。
私の中には、中絶にはいくつかの区分があります。
治療のための中絶という選択をされた方の意見に触れたことがあります。
その方も、私(私たち天使ママ)と同様に苦しみ、悲しみ、そして自身を責めて生きていて、更に時には同じ天使ママから
「あなたは私たちとは違う!」
と責められてしまいました。
私はこのときに、「そんなことはないよ、私たちと一緒だよ」って伝えたけれども、その後を知ることが出来ません。
私以外の人からも、励ましもあれば、攻撃もあったでしょうから、相当苦しんでいたとおもいます。
今では、幸せを感じる日々の方が多いことを祈ることしか出来ません。
そのビデオを見て、学生がどこまでのことを感じてくれるのか、なおさんの同級生のように感じてくれるばかりならと祈りますが、わかりません。
だから、suzanさんの言うように、その後のケアも含め、治療として中絶をしなくてはならなくなった母親の気持ち、苦しみも知って欲しいし、お産にまつわる話も伝えて欲しい、徹底して欲しい。
中絶ということに対し、天使ママとしての気持ちもそこにあることを知っているので、拒絶してしまう気持ちもあるのだけれども、琴子の死を無駄にしたくはないとおもう私もいるので、教育の場で使われている外国のビデオの中の胎児ちゃんも含めて、あの子達は尊くて小さい戦士なんだろうなぁと、気持ちを落ち着かせてもいます。
私たちが伝えたいとおもう気持ちは、天使のあの子達の生き様そのものなんだと。
学校にだけ任せておく問題だとはおもっていません。
私は親の問題が大きいとおもいます。
教師、医師、親とが協力し合わないと、何を見せても徒労に終わることが多くあるとおもいます。
小さい命が消えていくビデオを、親や、周囲で関わる大人達もなるべく一緒に見るようにして、そのまま色々な立場の者同士で話し合い、更にその日一日くらいだけでも喪に服すことも必要だとおもう。
今の学校の授業時間の不足問題も含めて、色々な社会問題を考えると、私の脳みそでまとめるのは到底無理なので、無視しています。
10年前の高校では既にそのようなビデオを見せていたと知り、あれこれと考えたりしていたら、自分の高校生時代はその倍近くあることをも知り、その時間の差なのか、哀しいし、怖いという最初の感想は今でも残ったままです。
でも、ふと自分で
「私が琴子を亡くしたことを知った高齢の方たちの中には、“ここまでならないと気付けない時代になっていたのか”と嘆いていた人もいたんだろうな」
とおもいました。
医師の方たちの中でも同じように感じられた方は多くいらっしゃるでしょう。
だから「見たい」とはおもえないけれども、「見なくちゃいけない・見せなくちゃいけない」という事態を受け入れる気持ちにはなりました。
まだまだ複雑な心境でもあるのですが…
いつもでもあるのですが、今回も皆さんのお話から、非常に大きなことを知ること・気付くことが出来ました。
ありがとうございます。