“母体搬送”とは…

今日は時間がないので、すみません、殆ど紹介のみになってしまいます。


産婦人科医のななさんのブログ『ななのつぶやき』より

母体搬送の実際


現場の人しか知らない、語れない話を知ることができました。

勿論、これ以上の、言葉では語ることの出来ないこともあるのでしょうから、内容以上の事態を想像するべきなんでしょうね。

そして、かかりつけ医がいないことの怖さ、危険性。

これは、かかりつけ医がいれば安心というだけではないんですよね、かかりつけ医がいても、遠くへ行けば、同様な事態を受け入れないといけなくなる。

また、かかりつけ医がいたとしても、緊急搬送となると、照会の段階で時間を要することもある。

更に、かかりつけ医では間に合わないから更に高度な医療施設への搬送とか、やっぱり私たちが想像しきれない現実が日々、どこかでおこっているんですね。


あまり思い出したくないことだけど、今日はやけに思い出すことがあります。

琴子は生まれてくる途中、足からでしたから、H助産師が

「ほら、足が元気に動いているぞ」

と言い、いきむ私を励ますためにでしょう、琴子の動く足の指先をちょっとだけ触りました。

悲しいかな、あの指先の動きだけが、私にとっての琴子のこの世での生きたままの感触となってしまいました。

ピクピクって、ちょっと動く指先…あれから1時間くらいしたのかな、琴子は死んでしまいました。

あの動きはもしかしたら苦しんでいた証だったのかもしれませんね。

でも、あのときは死んじゃうなんておもいもしませんでした。

そして、あれから少し経ち、琴子はあっさりと死んでしまいました。


妊娠中、問題なく過ごしている女性であれば、大半の人が『赤ちゃんが死ぬ』なんてことはおもいもしないものですよね。

私もそうでした。

赤ちゃんは生まれてくるために宿るんだっておもっていました。

だから、胎内で異常もないままに、ある朝胎動を感じないから気になって受診したら、心臓が止まっていると言われ、胎児ちゃんが亡くなっていることを知ったとかと、天使ママさんたちとの出会いの中で知り、その悲しい事実に驚き、そして私も悲しみました。

こうやって、どうしても避けられないことはあります。

でも、避けられることもあります。

私のように、避けられたはずの悲しいお産もあるんです。

遠方へのお出掛け、母体は無理しているつもりはなくても、胎児ちゃんにとってはきついこともあるかもしれません。

ちょっと解釈が違うかもしれないけれども、


ゾウの時間ネズミの時間

という本があります(CDもあって、私の好きな一枚です)。

胎児ちゃんは、お母さんの一部でもあるけれども、やはり大きさが違うから、お母さんにとっては1時間以内の移動でも、その何倍もの移動をしたのと同じ疲労感があるのかもしれませんよね。


私は搬送された経験がないので、このように色々なブログを読んだり、報道を目にしたりして考えることが主なのですが、搬送のシステムだとか、医師不足の解消なども当然必要なことだとおもうけれども、搬送されないようにする、私たち側のとるべき姿勢もあると強く感じます。

私のように、防げたはずの死は、防いで欲しい。