悲しいお産に…

ぐーたら産婦人科医さんが、

私の拙い体験からここでひとつお話をさせてください。

私はお産を終えた患者さんには『よくがんばったね。』などと声をかけて褒めてあげます。実際にはそれほどよいお産と思えないお産でもそのように言います。それは今後の育児に向けて自信をつけてもらいたい、大変な育児を乗り切って欲しいという願いからです。そんな私にある患者さんが次のように言われたことがあります。その方は一人目のお子さんを死産された方ですが(その時お産をとったのは私です。私が助けられなかったのです)、次のお産では帝王切開で無事お産をされました。その後も何度かお会いしたり、メールでお話を聞かせていただいているのですが、その方から『入院中、他のお母さんが先生方から、よくがんばったねと褒めれるのを聞くと悲しい気持ちになりました。』というような内容の話を聞かせていただきました。

死産などの悲しいお産を経験された方にとっては『自然分娩でお産をしたことをほめる』という習慣がこころを傷つけるということを知りました。

それ以来、私の分娩観は変りました。『自然分娩したこと、母乳で育てたこと』を、それ以外の形のお産を否定するがごとく、礼賛するというのは何かおかしい。当然そのとおりできればそれにこしたことはないのでしょうが、少なくとも医療人である我々はむしろ、悲しいお産をした方にこそ目を向けるべきではないかと思うようになりました。そういう点で、自然分娩、母乳礼賛を唱えるような医療人には疑問を持っているのですがいかがでしょうか。私の意見も偏っているのかもしれませんが、是非意見をお聞かせください。

というご意見をくださいました。

私の個人的な意見・感想なんですが、想うことがありましたので、この場にて返事を書かせてください。

決して天使ママさんたちの代弁としてとか、そういうことではなく、引用させていただくことはあるけれども、全くの私個人の意見です。


きっと、ぐーたら産婦人科医さんが救えなかったと嘆かれる天使ちゃん、そして天使ママさんは、ぐーたら産婦人科医さんが一生懸命救おうとしてくれたからこそ、メールでなり、その後も担当医であって欲しいと願っていたんだとおもいます。

私から言うのはおかしいかもしれないけれども、有難うございます。

ぐーたら産婦人科医さんだけじゃなく、赤ちゃん、お母さんを救おうと最善を尽くしてくださる医師の方たち、助産師の方たち、看護師の方たちには感謝しています。

そして、これからも赤ちゃんやお母さんが亡くならないように、少しでも生き易いようにと励んでくださる陰には、天使ちゃんや亡くなったお母さんたちへの想いがあるんだろうなぁと、以前にこのブログでも紹介させて頂きましたが、

産婦人科医はがんばってる。−死産を乗り越えること/ブログ主;haruさん

も思い出し、胸が一杯になりました。


お産が無事に終わった方に、

「おめでとう、よく頑張ったね」

って声を掛けられるのは、とてもとても当たり前のことだとおもいますし、また、それを辛くおもう天使ママさんの気持ちも、当然のものとおもいます。

そして、「おめでとう」が無事に生まれた赤ちゃんとお母さんだけのための言葉のような、その存在が悲しいとでも言いましょうか…だからといって、子供が死んだときに『おめでとう』とは言われたくはないのですが;;


仏教の説法の一つに亡児の亡骸を抱きながら、その子を生き返らせて欲しいとお釈迦様に頼む母親の願いがあります(ご存知の方も多いとおもいます)。

ある宗教学者が、その解釈を自身の著書の中で披露されているのですが、

『死んだ子は死んだ子のままで愛していいんだよ』

というような一文があるんです。

当ブログでも以前にこの本を紹介させていただいているんですが、私は天使ママさん数名に、この本を熱く紹介しました。(コチラ

私はこの言葉に相当救われました。

私の親も誰も、こんなことを言ってはくれなかったですから。


私は医療の場で責任を持つ立場ではないからこそ、こんなことを願ってしまうのかもしれませんが、私は母親学級などで、死産や医療を必要とするお産についての具体的な説明をして欲しいとおもっています。

死産などについては、経験のある方で受けてくださる方がいれば、これから出産をする方に向けて、直接お話をしてもらっても良いのではとおもっています。

それは、決して乱暴な気持ちからではなく、

『命は奇跡の結晶』

っていうことを、ただ幸せを夢見るだけの気持ちの中で想うのではなく、壮絶なまでの経験をしても、尚、その天使ちゃんの親であり続ける天使ママさんたちの気持ちをも含めて、奇跡を叶えることを想ってほしいからです。

そして、不安を煽ることだという声もあるとおもいます。

ただ不安を煽るために話すわけではなく、だからこそ、そのお腹の中の命を大事にして欲しいという天使ママさんたちの気持ちを知ってもらえれば、不安を煽る行為にはならないとおもっています(同時に、それが容易いことともおもっていません)。

そして、悲しいお産になってしまった方には、上記の本や、誕生死の本を薦めて欲しいです。

少しでも早く、『一人じゃないよ、皆が一緒にいるよ!』っていうのを伝えて欲しいです。


母親学級では、搬送の問題や緊急帝王切開に対しての心構えなど、他にももっともっと、具体的に話して欲しいです。

帝王切開に対しては、臓器提供意思表示カードのように、「緊急時には切ってください!」と、先に意思表示がしておけるようなものがあればいいのにとおもっています。


自然分娩が素晴らしいというのは、私の中にはもうないものなんです。

勿論、これはぐーたら産婦人科医さんも同じだと存じていますが、過度な医療介入は論外です。

そして、母乳育児も、私は出来る人もいれば、出来ない人もいる。

母乳育児が出来ることは理想的なことだとはおもうけれども、母乳育児が出来るからって、肩で風切ることではないし、出来ないからって敗北ではない。

お産だって、自然分娩が理想的だとしても、出来ないからって敗北ではない。

でも、帝王切開した方たちの中には、そのお産を受け入れ難くおもっている方も少なくないと知り、琴子を亡くした後、逆にショックでした。

『子供が生きているのに、何で?』

って。


ある助産師の方と、助産院での出産の危険性を話したことがあります。

その方は、関東の有名な某総合病院の産科に勤めていたこともあり、悲しいお産も知っている方です。

今は勤務を辞めています。

その方の周囲には、病院でのお産を選択した結果、帝王切開になってしまったことを嘆いている方が多くいるそうです。

私は『子供が生きているのに?』とおもわず聞いたのですが、

「琴母さんはお産の地獄を見たからよ」

と言われました。

地獄を見ていない方にとっては、私たちの話は『噂』くらいにしかおもわれない、感じられない、それこそ、昔話に似たようなものなのかもしれません。

私自身、あのまま琴子が無事に生まれていたら、自然分娩や母乳育児を礼賛していたとおもいます。

そうやって、帝王切開をした方たちや、お子さんを亡くした方や、母乳育児が理想的だと知っていても出来ないと悩んでいる方たちを傷付けていたんだとおもいます。


自然分娩で産んだ方に対してだけ、母乳で育てた方に対してだけしかないような褒め言葉・風潮が悲しいですよね。

私にとって、帝王切開で子供を出産したという方は、眩しいくらいに素晴らしい存在です。

また、お腹の中の赤ちゃんが亡くなってしまい、それから赤ちゃんを出産するというお産は、どのお産よりも素晴らしい母性愛に満ちたお産だとおもっています。

中には、子宮も一緒にお空に還した方もいます。

どんなに願っても、もう自分では子供を産めないという辛さと共に、亡くなった赤ちゃんを愛し続けている方もいます。

私は天使ママさんたちに出会って、琴子のことだけじゃなく、『自然分娩にこだわる』必要性が見出せなくなりました。

悲しいお産を産科医療の中心にしてくれとまでは言いませんが、亡くなってしまった命を無視したような話は受け入れ難いです。



なんか、ついついあの想いもこの想いも…と、横から上から下からと、全く話がまとまりません…とにかく、かなり的を射ていないことをお詫びします。