安全が一番でしょ?!
先日の当ブログ『お産革命』 で紹介しました『戦後日本の自然出産の流れと女性と助産師との関係』をきちんと読みました。(太文字引用箇所)
『つまり、「ひと」が産み、「ひと」が生まれるということは、安全に生まれればよいという以上の意味を孕んでいるということです』
は色々な感情を通り越し、悲しみしか残りません。
これは私からすると、『母子は無事に生まれる』ことしか頭にない人だから言えること。
あと、以前にこのブログでも何度か『自然(出産・分娩)とは一体何なのか』という問い掛けが誰彼問わずにありましたが、この資料からすると、医療を否定するためのものであると感じられました。
自然という言葉があえて使われるのは、不自然なお産があるからだということでしょう。
ですから、今まで私は経膣分娩をも自然分娩(出産)とおもっていたけれども、分娩という言葉を使うこと事態が医学的であり、自然という枠からは外れるようですから、吸引や会陰切開を含む経膣分娩は全て、自然ではなくなる。
まぁ、確かに既にそうなのかもしれないけれども、こういう考え方に強く縛られることによって、子供には無事に生まれて欲しいとか、なるべく母体にも傷が残らないようにという、当たり前のように願う想いからして不自然とされてしまうのか。
助産院で無事に産めた人の話ばかりを並べては、もう語ることはしないで欲しいです。
同時に悲しいお産になった方のお話も、各助産院、必ずや1件はあるでしょうから、その話もきちんとしてください。
母子が無事に済んだお産だとしても、危険な状態に陥ったので搬送になった、危険な状態になりそうだったから搬送になった、判断が甘かったのか、搬送を決断するのに時間を要してしまったとか、少なくとも1件はあるはずです。
自分を大事におもうのは皆一緒ですが、助産院の中で、助産師は自分のプライドとか利益とかよりも大事にするべきは母子の安全なのですから、それを何よりも優先してください。
助産院や自宅で産むと考えている方には、是非、助産師の方たちの経験全てを伝えてください。
「あれは産婦の息み方が悪かった」
「食生活が良くなかった」
とかで片付けないでください!
産んだ私たち母親のせいにばかりしないでください!!!
体つくりはばっちりで、それでも悲しいお産になった方もいますし、私も、琴子、リンズ、ダンジと3人共、妊娠中の体つくりはきちんとしていましたから。
(他にも搬送、嘱託医の問題とか、本当に考えるべきこと、改善されるべきことは山積みなんですから)
最後に、琴子の妹(リンズ)と弟(ダンジ)を、私は病院で出産しました。
ダンジを出産したときに、リンズは待合室で旦那と一緒に待っていました。
立会いは選択しませんでした。
しかし、リンズは生まれてすぐのダンジを目にして、
「可愛い〜!!!」
と、連呼して、すぐに
「抱っこしだい!」
と言い、病室に移ってからも、
「抱っこしたい、抱っこしたい!」
と騒ぎ、入院中も何度も抱っこしてくれて、すぐにお姉ちゃんになってくれました。
そして、リンズもダンジも生まれた直後の写真から、とても穏やかな表情をみせてくれています。
どこで産んだとかは関係ないと思います。
見る人の考え・見方が問題なのではないでしょうか。