ふぃっしゅさんのご意見から考える

先日の私のブログ内にて、いつもご意見くださる助産師のふぃっしゅさんから、下記のようなご意見を頂きました。


良いことは取り入れればよいし、改善されていくことは大いに歓迎ですが、不安が残ります。

良いイメージだけで「院内助産院はいい」「医師の立会いがなくても助産師だけでお産は大丈夫」という風潮が、分娩数に見合う産科医や小児科医数に対する国の方針へも影響するのではないかと。

「在宅介護がいい」(それ自体は否定しませんが)という世の中の雰囲気ができてから、あっという間に高齢者の入院場所が削減されていきました。

「はしごをはずされたようだ」と、療養病床のある施設長さんたちは転院場所のないお年寄りが出たことに憤慨していましたね。

気づいたらいつの間にか、産科医・小児科医に助けを求めることがとても大変な時代になってしまうようなことにはなりたくないものです。

分娩途中の心音低下や異常出血などローリスクのお産でもいくらでも起こるのですが、今まではすぐに医師が対応できたので「正常」に終了していたのですが、お産の場所が医師とは距離が離れれば離れるほど(医師数が少なくなれば)対応が遅れ「異常」になっていくことでしょう。

若い助産師さんたちが病院での仕事に不満を感じたり、理想と違うと飛び出したくなるのには、病院全体でどれだけ看護者数を確保するか、というところに一番の問題があるのではないかと思います。

どの病棟も「自分の理想の看護」にはもっと人手が欲しいです。

けれども国全体の医療費という点では、この先さらに削減の方向でしょう。

3〜40年前は母児別室、3時間授乳が当たり前、そして最近は母児同室、完全母乳で「絆を」など、出産育児は本当に反動が大きい分野ですね。イメージにあおられず、本当の問題は何なのかあせらずに考えることが大事かなと思います、助産師やその職能団体は。


私が琴子を出産する頃、2003年の私の耳には『院内助産院』という言葉が入ってきませんでした。

私が知らなかっただけなのかもしれませんが、今では方々で聞くようになりました。

また、私がリンズとダンジを出産した病院でも、院内助産院を始めたそうです。


ふぃっしゅさんからのご意見を読んで、

「在宅介護がいい」(それ自体は否定しませんが)という世の中の雰囲気ができてから、あっという間に高齢者の入院場所が削減されていきました。

「はしごをはずされたようだ」と、療養病床のある施設長さんたちは転院場所のないお年寄りが出たことに憤慨していましたね

あぁそっかー…と、怖くなりました。

何か「いい感じ」に流されて上って、振り向いたら梯子がない…怖いな。

完全に独立した助産院よりも、院内助産院の方が安全だという意見があり、確かにそう感じるのですが、“医師不足”である限り、今私たちが抱えている問題は何も解決されないんですよね。


『お産の理想』は、私にとっては“母子の無事”でしかないのですが、世間的には“自然なお産”ですよね。

その理想の声は大きくなるばかりなのだけど、医師の方たちや潜在助産師が現場に戻るという理想には近付かないのはなんでなんだろう…

“お産”は何を求めていくのか。



母乳育児は理想だとおもうけど、強迫観念とでもいうのか、『母乳育児でないといけない』という感じもありますね、時に目にします。

それこそが“愛ある育児だ”と言わんばかりに。

無理に遠退く必要はないけど、無理に近付くのも必要ない。

私の好きな助産師さんが、

「ミルク(人工乳)でも、与え方(主に量)では母乳同様の栄養価になる」

と仰っていて、なるほどとおもいました。

前にもこのブログで、持病の治療のため、母乳があげられないという方がいらっしゃいました。

『したくても出来ない』ということを想像出来ないとでもいうのか、先日の“たらい回し”という表現にしても、問題の本質よりも『怠け者』というレッテルを貼りたがる。


ふぃっしゅさんのご意見から逸れてしまったのかもしれないけど、色々と考えさせていただきました。

振り返っても梯子があるように、私たち産む側も、お産に何を求めていくのかをもっと深く考えないといけないってつくづくおもいます。