生きたかったんだとおもう

琴子のことを考えていると、どうしてかな、どうして死んだのかなって漠然と考えていたりする。

あぁ、そうか…

今日は道を歩いていて、ふとおもった


「生きたかったから、死んだんだ」


って、何故かそうおもった。

生きたかったんなら死なないでしょうが…
もう一度、自分にそう問い掛ける。

でも、やっぱり今日はおもった ― 生きたかったからこそ、死んだんだって。

助産院や自宅出産で安全性を無視した、子の安全よりも親や助産師の思想を最優先されていたら、どんどんと死んじゃうかもしれないよ、生き難い人生を強いられるかもしれないよ、それは私かもしれないし、他の子かもしれない、とにかく、誰かがそうなっているんだから…やっぱりそうおもうと、琴子の生きたかったという気持ちを私が別の形で生かしていかないと、私は琴子のお母さんなんだから。

警鐘を鳴らしているのは琴子だ。
琴子や子供達が無事に生まれてくるために、琴子が警鐘を鳴らしているんだ。
小さい子供達が必死に鳴らしているんだ。