伝えることの難しさ−無介助分娩の扱いについて

先ほど、地元の新聞記者の方から連絡がありました。

報道の自由があるから、放送予定に対してアクションを起こすことは難しい

それは理解していますので、私としては

無介助分娩の危険性と、頻産婦もハイリスクになるということを伝えるべきではないか

とお願いしているのですが、地元紙ということで、県内の事例を探したりする必要があるということ等、すぐに記事にするのは難しいということでした。

ネット版もあるのだから、世界中の方に送る手段を得ているのだから、県内に固執する必要のないこともあるとおもうのですが…
でももうここまできたら、私にはどうしようもない。
やっぱりブログでこうやって伝えていくしかないんだと再認識。

この記者の方には感謝しています。
今も多分、自分の追っていることと並行して、違う部署の方に掛け合ってくださっている。
本当に有難いことです。

世の中には今すぐやらなくても良いような番組や、緊急を伴わない記事も多くあるのに、今すぐやって欲しいことや、緊急を伴うことにこそ制約が加えられ、結局、結果ででしか語れないのかと、残念にもおもいます。
でも、まだ間に合うのなら、無介助分娩の危険性(警告!! 専門家が立ち会わない無介助分娩は危険です!!)を伝えて欲しいのです。
妊娠中の経過に異常がなくても、分娩中に予測出来ない事態が起こり得るのが出産で、これは妊娠したら誰もがその可能性を持ちますし、胎児がついさっきまで元気だったのに、急に心拍が下がって異常事態になるというのもあります、また、無介助分娩の方は健診にも行かれていない方が多いようですが、逆子だとか臍帯が首に絡まっているとか、その他沢山の問題があるかもしれません、その結果、最初に命の危険に晒されるのはまず胎児です!
そのような事態に陥ったときに、救急車を呼べば大丈夫なんていうのは幻想です。
これは日本テレビの今回の件に絡めなくても、すぐに伝えるべきことだとおもいます。

日本助産師会に問い合わせてくれれば、今ならこの件にすぐに対応して資料等を出してくれるとおもいます。

ひな鳥が最初に見たものを親とおもって慕うように、私たちは最初に刷り込まれた情報を重んじてしまうのではないかとおもいます。
最初に見た番組や記事が、きっとその後の私たちの慕う意見になっていってしまうのではないかと、それが日曜の朝が先なのか、それ以前に出せるのかと、やっぱり私は気になってしまいます。

子供が死んでいくのを見ていることしか出来なかった私が一番愚かだった。
もう二度と、例え自分の子どもではないとしても、琴子が無事に生まれ変われるように。