出生前診断>「生む」「生まない」の選択肢を親は持っているのか?

先日の当ブログ【妊婦のエコー「出生前診断になり得る」 学会が見解案】にくださったコメント、とっても貴重なご意見で、産む前にしっかりと考えておく、学んでおくべきことだとおもいましたので、今回も皆さんのご意見をお借りして、記事にしたいとおもいます。ご意見くださったyuririnさん、*やすみん*さん、桜井純一郎さん、有難うございます。

胆道閉鎖症のお子さんをもつyuririnさん

ウチの娘も、ひょっとしたら胎児診断で分かる形の胆道閉鎖症だった可能性が高いです。
エコーによる診断は、医師の技量が出てくるものだと思っています。
産科にエコーのないところなんて今はないから、一か月健診でエコー検査も入れたら良いと発達を診てくれている小児科医に言われたことがありますが、
同じことを胆道閉鎖症を診てくれている小児外科医に言わせると、エコーで見つけられなければ一緒だともいわれました。
医師でも診断が難しく、見つけられないこともあるのに、
助産師がエコーで何ができるのでしょうか?
胆道閉鎖症の啓発に行った先の助産師に
「なんでもわかる時代になれば、生む生まないの命の選択をする親が出てくる。倫理的にどうなのか?」
といわれたことがあります。
娘が仮にエコーで分かっていたとしたら、こんな思い十字架を背負わせることはなかったでしょう。

中にある助産師の方の意見>「なんでもわかる時代になれば、生む生まないの命の選択をする親が出てくる。倫理的にどうなのか?」
これが多分、私たちがもっと事前に勉強しておかないといけないことそのものだとおもうんです。
「生む生まないの選択肢を私たち親が持っているのか?」

ダウン症のお子さんをもつ*やすみん*さん

ダウン症の下の子はエコーではわかりませんでした。
産まれてすぐは「羊水検査」のことが頭に浮かびましたが今となっては
「わからなくて良かった」と思います。障害のある子供でも私にはかけがえのない子です。
産まれる前にわかっていたら、「かわいそうな自分」に負けていたでしょうね。

エコー診断は(も)とても難しいと思います。医師以外の方が診断はしてほしくないですね。

産まれる前にわかっていたら、「かわいそうな自分」に負けていたでしょうねと、冷静に、そして正直に語れる*やすみん*さんなら、実際にエコー等で妊娠中にわかっても、その子をどう受け入れていくかを考える日々にされていたともおもいます。私も見習いたいです。
私が琴子を妊娠中に通っていた産婦人科医院では、羊水検査を任意で実施していました。私は「もしもこの検査で疑いが出た場合はどうするんですか?」と聞いた後に、病院スタッフの方がより詳細を調べるために…としてくれた説明を聞いて、「うーん、もしも異常があると言われても困るからやめとこう」とおもって、私は受けませんでした。リンズ、ダンジを妊娠して通った病院では、この検査は説明すらありませんでした。エコーは、過去に3Dも受けたことありません。リンズ、ダンジの病院にはあるらしいのですが、どうも異常を感じられた場合に限定使用していたようです>一度、臍帯が巻きついていないか心配で聞いたら、とりあえず臍帯の血流に異常はないようだから大丈夫だろう、これで異常があったら3Dとかで確認…と説明を受けたように覚えています。

産科医の桜井純一郎さん

助産師のエコー」という主題からは外れてしまうかもしれませんが、出生前診断について。
個人的意見ですし、出生前診断も幅広いのでその中で一部に関してだけですが「親になる人の同意は不要」というか「同意云々ではなく、親になる人は拒否が許されない」と思っています。というのは「出生前診断とは親の権利ではなく、胎児の権利であり親にとっては義務」という考えからです。胎児が生まれて新生児となる際にいち早い治療が必要となる(たぐいの出生前診断の)場合、それを知ることは胎児にとっては死活問題であり、例えて言えば「エホバの証人における輸血問題」のように子供の命が親の信条で左右されるべきではない、という考えの立場からです。その線で行けば「エコー検査に妊婦の同意が必要」というのは胎児の命の軽視に思えます。
私がオリジナルで考えた意見ではなく他の方の受け売りですが。
命・治療に関わるような内容でない出生前診断については妊婦の同意が必要、というのは否定しません(例えば胎児の性別を確認したいか、などです)。

再度、桜井純一郎さん

抜けてしまいましたが、法律論で言えば現在日本の法律では胎児は人権を持たないはずなので、法律上は胎児の権利はありません。
倫理観の問題になるかと思います。

確かに、ツイッターで発せられた医師の方達の意見には「同意は必要ない」というご意見を複数、目にしました。理由としては、産科医のこれ以上の労働、責務を重くする必要までないというようなもの(かなり私的に解釈した言い方しています)から、桜井純一郎さん同様に胎児の人権を含めたものまで、出生前診断も幅広い同様に、ご意見も幅広くありました。

最初は桜井純一郎さんにもメッセージでレスを書いていたので、私からの最初に書いていたものを紹介させてください。

桜井純一郎さん、こんにちは。

貴重なご意見、有難うございます。
胎児の権利、という言葉にハッとします。
ある病院では待合室に「エコーは性別判断のためにするのではありません」というようなことが書かれていて、そこでは性別は教えてもらえない決まりがあったそうです。ハイリスクの方が多く通う病院だったと記憶しています。
他の方で、オーストラリア人の奥さんが妊娠、胎児に異常(悪性腫瘍だったような...)がみつかり、医師から生まれてもすぐに亡くなってしまうから堕胎した方がいいと説明を受け、母国ではそんなことを言うことはないと怒って帰国して出産したという話もあります(実際にその方の母国でどのような説明や対応があるのかはわかっていません)。
ちょっと的外れになるかもしれませんが、出生前診断が胎児のために少しでも早い治療が出来るためのものということだけではなく、そのことにより、親が堕胎の選択肢を持つという問題もあるとおもうのです。
以前に天使ママの集う場で、このような事情で妊娠中断、堕胎したという方が我が子への懺悔含めて書き込んでいらしたら、数名の天使ママさんが「あなたは違う!」と言って追い出してしまいました。
私も自分の責任で琴子を死なせてしまったところがあるので、その方と自分は似たこともあるようにおもい、私はショックでした。

と、ここまで書いて、記事にすることにしましたので、ここから枠を外します。

胎児に治療を出来るようにもなったとテレビでも見たりするようになったし、医療はどんどんと進んでいて、「助かる」とおもえる告知を受けられる親御さんも少しずつ増えてきているのだとおもいます(極僅かであっても)。でも同時に、どうしても助けられない、治らない、身体の特徴を変えられないという結果を受け入れる親御さんはゼロにはならない。ある産科医の方が胎児の診断の告知の難しさ、その後のケアやフォロー等を教えてくださいました(ツイッターでのことです)。私が伺えたこと以上に大変な状況があると感じます。
色々なことがわかるようになると、今度はわからなかったことを「見落とした」とする人たちも出てきてしまうでしょうね。訴訟が増えることも多くなってしまうような気もします。こういう問題を考えても、私たち産む側、一般人への医療の教育が必須だとおもいます。もしも胎児に異常があると予見されたときに、医療者にフォローを求めるだけではいけないとおもうのです>
いやまあそうなんだけどS.Y.’s Blog
で、そしたら既に出生前診断での訴訟があったんですね…
出生前診断

4.出生前診断の問題点 
 米国では,高齢出産で,異常児出生の危険が高いと予想されたのに,出生前診断をうける勧めを医師が怠ったために染色体異常児を出産し,育児しなくてはならなくなったという訴訟があり,医療サイドが敗訴したという.日本では,39才の母親から生まれたダウン症児について出生前診断がなされなかったとして訴訟されたケースで,『妊婦からの相談や申し出がない場合,産婦人科医師が積極的に染色体異常児出産の危険率や羊水検査について説明すべき法的義務があるとは認められない.妊婦からの申し出があった場合でも,産婦人科医師には検査の実施などをすべき法的義務があるなどと早計に断言できない.』として,医師に過失はないとの判例(H9.1.24,京都地裁)が出ているが,日本でも出生前診断が医事紛争の種になり始めたといえる.
 こういった訴訟がある一方で,現状では生命倫理面の論議が足りず,十分なコンセンサスが得られてはいないので,出生前診断を行うことには慎重であるべきという意見もある.これは,検査を行う側にも受ける側にも,出生前診断についての十分な知識と理解が浸透していない状態で検査が行われている可能性があり,検査結果に対して,夫婦が自己決定する道を社会的にサポートするような基盤が十分に整備されていないとの見解から懸念されているものと考えられる
 妊婦健診の場で,出生前診断についての相談や申し出があった場合,現在どんな問題点が考えられるであろうか,夫婦の心配している遺伝性疾患が具体的な場合,検査内容に関して産婦人科医が説明するだけでなく,その疾患に詳しい医師や遺伝専門医によるカウンセリングを受けた後に,検査を行うか否かの自己決定をしていただくことが望ましい.しかしながら,こうしたカウンセリングを行える環境が整っている医療機関は極めて限られた施設である.さらに,高齢を心配する人の多くは,具体的な疾患よりも,漠然とした不安を心配しており,出生前診断についての説明も通常の妊婦健診の際に聞きたい人が多く,日を改めた遺伝相談を希望する人は少ないのが実状である.こうした理由で,本来十分な時間を取って行われるべき検査前のカウンセリングが,限られた時間の中で産婦人科医が行わざるを得ない現状となっている.検査前の十分なカウンセリングを行える体制作りが,現在の最も重要な課題であろう.
 しかしながら,カウンセラーという職種も正式には存在しない状況が現実であり,産婦人科医は非常に忙しい外来の中で妊婦に対応している.そういった環境で,出生前診断の自己決定がなされているのが現状であり,今後も,そうせざるを得ないとすれば,われわれ産婦人科医自身がカウンセリングの手法や考え方を身につける必要が生じてきているのではないだろうか.カウンセリングが十分にできない状況であれば,適切な施設に任せるといった対応も考慮するべきと考える.
 本来,非指示的に,クライアントの自己決定のサポートを行うことがカウンセリングであるが,出生前診断の自己決定は難しいとされる.その理由として,「腹痛や出血といった自覚症状があって受ける検査ではないため, 検査するか否かを周囲からの情報だけで判断しなければならない.先天異常は種類が多く,同じ異常でも症状や重症度にかなりのばらつきがある.予後を知りたいが,わかるのは診断名だけ.望んだ妊娠が多いのに,人工妊娠中絶を考えながらの決定になる.妊娠中,限られた時間の中で重要な判断をしなければならない.」といった事が考えられる.自己決定の際に考慮すべき事項としては,『夫婦にとって,子どもとはなにかをまず考えてもらうこと.どんな病気が心配で出生前診断を考えているか,その病気のことをどの程度知っているかを明確にすること.その出生前診断の方法について理解すること.検査でわかる限界を知っていること,100%の障害児や100%の健児なんて存在しないことを理解すること.』などが挙げられる.医療側は,上記につき,適切な情報を提供できているのかが問われることになるであろう
.生命を抹殺するかもしれないという,重大な決定を行うにあたって,例えばダウン症について,我々がどの程度の知識を持って自己決定のサポートを行っているのかを,考え直さないと行けない状況になってきていると実感している. 産む産まないを決定するのは,女性の基本的人権であるとの立場から,人工妊娠中絶術の合法化を図った時代があり,出生前診断の技術は,その時代に急速に進歩した.出生前診断の技術の進歩によって,従来まで出生前に確定診断できなかった重篤な疾患が診断可能となり,女性たちはより確かな情報を得て,産む産まないを自己決定することが可能となってきているのであるが,逆に女性たちに新たな不安を与え,従来しなくても済ませられた選択を迫ることになっているともいえる.検査技術の向上がもたらしたこのような複雑な状況は,人工妊娠中絶,胎児の人権といった倫理的な議論の重要性をあらためて浮き彫りにしていると言えよう. 
現在,出生前診断検査の歯止めになっているのは,確率は低いが流産する危険性を有することである.しかし,ほとんど流産率に影響を与えないと考えられる母体血の採血から,母体血中の胎児有核細胞をピックアップし,胎児DNA診断を行うことが可能となってきており,母体血からの胎児由来細胞の分離法と,その分析法が確立されれば,現在行われている羊水検査や絨毛検査のかなりの部分が,将来置換される可能性がある.しかし,流産の危険率が高まらないからといって,希望するすべての妊婦に対し,検査可能なすべての疾患を対象として出生前診断を行ってよいという見解を認める者は,皆無であると信じたい.もし一定の歯止めを必要とするならば,どこに線を引くかといった非常に難しい問題を包含しながら,検査技術は確実に進歩している.
検査を行う者も,検査を受ける者も,この倫理的・社会的問題を十分に議論する必要があり,双方に高い倫理観が要求されている時代になっていると言えよう.

※強調しているのは私、琴子の母です
桜井純一郎さんが法律論で言えば現在日本の法律では胎児は人権を持たないはずなので、法律上は胎児の権利はありませんと仰ったのは、私の中では『赤ちゃんをリスクに曝す権利はない』にも通じることがありまして、日本は胎児に権利を持たせる必要があるのではないでしょうか。
シリーズで書いてくださるそうです>シリーズ 赤ちゃんの情報は誰のもの?(1)LUPOのパワー全開な日々

註;私は今回のタイトルから考えられる問題に、レイプ被害者の方の問題を含めるつもりは全くございません。簡単にお断りを書くだけでは失礼なこともあるかもしれませんが、誤解ないようにお願い申し上げます