産屋、そして村へ?
NATROMさんのブログ>吉村医院をモデルとする助産院と信友浩一先生のコラボ - NATROMの日記
この方達が憧れる吉村医院の吉村医師は、子供の死を自然のもので仕方がないことだ等と言っている。だったら何故搬送という手段を残すのですかね。実際に“魅了された”親たちは、「そういう不幸な結果になる方もいるのだろうけど、私たちは大丈夫」とおもっているのが殆どだとおもいますよ。もしも本気で「うちの子供はこの出産により死ぬかもしれないけど、私たちが選んだやり方に従ってもらうのも運命だ、仕方がないのだ」と、なんの根拠もなくそうおもう親がいるのだとしたら、それは胎児虐待でしょうね。生まれた子供が病院に行って治療を受けるべき状態なのに、それを放置して「運命ですから」として亡くなったら? それでもテレビで「それがその子の運命でした」と報道する日がくるのかな?
Yosyanさんもです(タイトルが素晴らしい)>行ってしまって、終わった人のお話
「お産の村」という構想も聞いたことがあります。村ですから、産屋よりも規模は大きいですね。こちらもいつかはこうやって形を見せてくるのでしょうかね…見たくないので、構想だけで終わって欲しいです。正直言えば、構想もしないで欲しいです。それでもいつか、「お産の村実現に向けて」とかって、新聞で好意的に紹介される日がきたり、支援者が束になってしまって…やめときます、想像だけでも嫌になる。
こうやって情報を交換しあえる時代の自然出産で、子供が死んでいるんです。本当の昔の、助ける術がない時代の産屋とか、村ではないのです。一歩外に、それもその思想から外に出れば、子供が死なないですんだ、植物人間にならないですんだ、障碍が残らないでもよかった可能性のある出産が現代にもあるのです。私の話は助産院、自宅出産という、自然分娩を素晴らしいと信じて選んだ出産の形の結果です、産屋のことを真剣に考えるのならば、何故、母子の命、安全性を最優先した議論が最初に徹底してなくて、いきなり夢と希望で語られるのかが疑問でなりません。嘱託医がいれば、搬送先が確保されていれば、それで責任は全うしていると言えるのでしょうか?
女性には産む力がなくなってきているとか、そんな風に現代人が現代人をいきなり見下して、あえて病院から離そうとしているのは何故? 何故、最初から病院で産むということを否定した思想で集うのか。
糸島での吉村氏の講演会を聞いて「出来たらいいな!」「私も次は自宅出産する!」というブログはチラホラとありますね。どこにも本気で「子供は死んでも仕方ないそうです」なんて書いていないようですが、こういう方は後から「覚悟はしていました」って言うんですよ。
私は昔の女性がそんなに喜んで産屋とか、出産を讃えていたとはおもえません、それは昔にはよくあったという出産による死を実際に経験した母親である私なら、すぐに出来る想像です。沢山産んだのは“出産が喜び”だったのではなく、避妊することも出来なくて、また、中絶するというのも今とは違って、だから産んでからの口減らしはあったわけで、産屋でもそれはされていたでしょう。
この計画と関連付けるのは失礼な気もしますが、私は産屋と医療―香川県伊吹島における助産婦のライフヒストリーの伏見さんの産屋研究に期待します。