一部の「自然派」産婦人科医にも大いに問題が...

個メールでRRさんという方からご連絡頂きました。RRさん、有難うございます。

『都内在住のRRと申します。
私の住んでいる杉並区は「自然なお産」を目指す方々には恵まれた環境のようで、
自宅から徒歩圏に数軒の開業助産院があり、そのいずれもいわゆる「カリスマ助産院」のようです。
私自身は第一子出産の際にリスクが生じ、助産院で産むという選択肢はありません。
琴母さまのブログを読むに至る経緯はいろいろあったのですが、それはひとまず置いておいて、
区内の産院(助産院ではなく)で驚くようなことが行われようとしているという
情報を耳にしたのでお知らせしたく、取り急ぎメールをお送りする次第です。

子どもを通じて出会ったあるお母様(仮にBさんとします)が現在、妊娠中です。
彼女はこれまでのお産を「分娩台が無い」ことで有名な区内の産院で出産していて、
今回のお産もそちらで...と思っていたようなのですが、
その産院の医師(仮にA医師とします)は現在分娩の取り扱いをお休みしており、
「自然なお産」派のBさんは何処で産めばいいのか悩んでいました。

その後しばらくの間Bさんに会う機会が無く、先日たまたま会って話をしたのでその話題になりました。
すると、なんとA医師はBさんのお産を受けてくれた、とのことで、
「?」と思いつつも色々と話を聞いていたら、びっくりするようなことが判明したのです。

先ほど書いたようにA医師は現在お産はおろか新規の妊婦健診も受けていないのですが、
それはどういう事かといえばA医師は自分の産院を完全にクローズするつもりのようで、
Bさんによれば現在医院にはエコーすらないのだそうです。
そしてA医師はBさんに「何かあったらごめんね。」「その時は搬送するから。」と話しているのだとか。
現在医院として使っているスペースは完全に住居にリフォームするようで、
Bさんが実際にお産するときはどのような環境で産むことになるのか全くわかりません。

現時点ではもう分娩は受けていない、ということは産院のHPにも記載されているので、
(既にかかっている妊婦の健診、この産院で生まれた赤ちゃんの健診などは受けている模様)
Bさんの出産を引き受けたのは「非公式」であると言えそうです。
そうして「非公式」にA医師のもとでお産をする妊婦はどうやら複数いるようで、
いずれもいわゆる「リピーター」(A医師の産院で過去にお産をしている妊婦さん)のようです。

妊婦さんたちがこのような異常な環境(と言ってしまっても良いと思います)で
敢えてお産をすることを受け入れるということは、
A医師と妊婦さんたちの間での信仰にちかい関係に基づいたコンセンサスがなされているからでしょう。
(これは、A医師が敬愛している吉村医院の吉村医師と妊婦さんたちの関係に非常に似ていると思います)
そしてA医師自身がそれに甘えている/胡座を書いているように私には思えます。
でなければ搬送する可能性を予め示唆するような発言が出るわけがありません。
何故かといえばA医師はもともと「自分の産院で生むと決めた以上、妊婦さんには"何が何でも下から産む"という努力をしてもらう」
(A医師の産院では帝王切開は行なっていない)
と公言し、彼女のもとでのお産を希望する初産婦にはかなりハードルの高い自己管理を要求していたからです。
であればA医師も妊婦さん同様、一人の女性のお産を受ける以上は最善の環境を作って応じるべきと思います。
なのにその環境のレヴェルが落ちているところで敢えてお産を受けるなんて。
開業助産師だけでなく、一部の「自然派産婦人科医にも大いに問題があるということは知っていましたが、
エコーも無いような環境で妊婦健診およびお産を受け持つなんて無 責任極まりないと思うのですが。

ブログに参加されている医療従事者の方々の意見も伺えればと思いました。

タイトルにも使わせて頂きましたが、自然派の医師は確かにいらっしゃって、時に問題だなぁと強く感じる方もいらっしゃいます。産科医が男性というだけで、かなり暴言を吐く女医の方もいらっしゃいました。(ご本人は自身の発言を暴言とはおもわれていないんでしょうけど、私からしたら「レイプ」だのと仰っていて、人格否定をするつもりはありませんが、まともにお話しできる方ではないなぁとおもいました)
チラホラといらっしゃいますよね、問題に感じる医師の方は。「助産院や助産師が問題を起こさないために監視するつもりで嘱託医を受けた」と仰る産科医の方もいらっしゃるので、嘱託医となられた医師の方が全員とは全く思っていないし、そういうことを言うつもりではないのを先にお断りしますが、しかし実際に、嘱託医の思想が、熱烈なる自然派への助産師の意識を高めている存在になっているケースがあるのも事実だと思っています。
また、今回のように、医師自らがその思想に共感を求め、助産院、自宅出産同レベルでの妊産婦の受け入れをしていることもあります。

結局は、産む側が自分たちで選り好みせずに、偏りなく情報を得て、出産のリスクもきちんと学んだ上で、真剣に子どもが死ぬ可能性について考えた上で産む場所を選ぶしかないわけですが...その情報源が既に偏っていたりする、という問題もあるわけですね。それも、その偏った情報源が医師(助産師)であって、書籍まで出していて世の一部から支持されていてとなると、「凄い人」とおもえちゃうわけです。

このお話の、第二子をそのような場所で分娩することに問題を感じられていないお母さんは、当時の私と同じで、エコーを「胎児の男女判断」のためだけのマシンのようにおもっているのかもしれませんね。当時の私が具体的にそうおもっていたというわけではないのですが、今おもうと、きっとそうだんだとおもうんです。
現在、助産院や自宅出産を選ばれようとしている、当時の私のような方には是非。

お子さんを胎内死亡、第二子を大きな病院で出産された方は、通っていたその病院に貼られた張り紙に、「エコーは男女を見分けるためのものではありません」とあって、胎内死亡をしてしまったお子さんとの妊娠期を思い出し、涙したそうです。「あの頃は、エコーを自分もその程度のものにしかおもっていなかった」と痛感したそうです。

私は、エコーや“子どもの異常を探そうとする診察”は大事だと思います。