忘れてはならないし、知っておかないといけない知識

先日の当ブログ開業助産師からのメッセージがどう伝わっているのかで、私もきちんと書くべきことだったのに、suzanさんが正してくれました。有難うございます。

もう一度書きますが、病院分娩なら安全、ではありません。
病院分娩だって、妊婦さん自身がきちんと自己管理して分娩にのぞむことが原則であり、
その上で厳重な医学的監視を行い、異常になりそうな傾向がみられたらすばやく対応する、
その上での「安全な病院分娩」です。
助産院や、ましてや自宅で分娩が進行しているとき、
たとえどれだけ「からだづくり」をしようとも、
状態急変してしまえばすぐに気づくことは不可能(監視してないですから)でしょうし、
すぐにすばやく対応することも不可能(医師もおらず医療設備もないですから)ですので、
「あぶなかったけどぎりぎりで助かった」ような、
妊婦さん自身には「結果的に安産でしたね」といえるようなお産を
「結果的に安全」に終わらせることはできないだろう、と考えます。

琴子や琴子のお友達が教えてくれた、とっても大切なことでした。そう、病院分娩なら安全、ではありません。出産は特に問題を感じることがない限り、私たち産む側は幸せな結果しか想像していないことも手伝って、楽しいイベントのように扱うのが主流になってしまっています。でもそれは、

他の国のことはわかりませんが、日本における高い分娩の安全性は、
われわれ産科医師を含む産科医療に関与する人間たちが
必死になって日々作り出しているものです。

と、suzanさんが仰る通りにおもいます。そして、こうやって“死産”というのが滅多にないことになった御陰で、“死産”を不安におもう妊婦さんの数は相当稀と言っても過言ではないくらいに、ほぼ安全に産めるとおもえるようになったんだとおもいます。
でも、だからこそでしょうね、悲しい出産になってしまった場合の落差の激しさ。
否、実際には悲しいというより、『不満なお産』。
病院で産む=大事にされていないでしょ?
そんな感じで悔やませているように私は感じています。


病院なら何もない、安全だというのではなく、出産というのは常に異常と背中あわせだということ。その異常が遂に生じてしまった場合、どれほどスピィーディに対応してもらえるかが重要になる。助産院や自宅出産の場合、緊急時への対応、交通事情はどうなのか。
『救急搬送』で迅速な対応を求めても

私は琴子を出産した後、病院に行きたかった。それがなぜか叶わなかった。物理的な問題ではなく、助産師の判断によって、病院はずっと遠くに追いやられてしまっていた。それに気がついたのは琴子が死んでから。
そして、自分でも反省しながら考えるのだけど、当時の私に「何かあったときにすぐに対応してくれる病院がいいよ」とどんなに説明しても、聞く耳をきちんと持つことができただろうかと…。
もしかしたら、【特別を理解しあえる関係】に酔い、そういう仲間と病院をすすめてくれる人を批判していたかもしれない。情けないようだけど、そういう想像の方が正しいと思える。
そして、病院で起きることはなんでも事故と頭の中のどこかに常にそう思っている考えがあって、何もないと信じて助産院を選ぶのかもしれない。

病院なら安全なのではなく、出産というのはいつ急変するかわからないことだと、そのときにより早く対応出来る環境を選びたいとおもわないのかとか、そういうことを私たちはきちんと学ぶべきだと痛感しています。