何故、日本の助産師には“自然分娩至上主義”が多いのか

イギリスで助産師として働かれているメイさんがご意見くださるようになり、今後、イギリスと日本の違いを教えていただける機会も得られそうなので、カテゴリーに新しく「日本とイギリスの違い」を作りました。メイさん、どうぞよろしくお願いします。

今回の記事は当ブログ『忘れてはならないし、知っておかないといけない知識』にお寄せくださったみなさまからの貴重なご意見を拝読し、そこで私がずっと感じていた疑問を書くことにしました。せっかくの貴重なご意見からピントがずれていると感じられると思われる方もいらっしゃるとおもいます、すみません。しかし、継続していきたいと思っていますので、懲りずにこれからもお付き合いください。

メイさんがご意見としてコメントをくださった中に

私個人としては、日本でも、助産師が縫合できるように教育を見直す必要があると思っています。そして、必要最低限の薬を処方する権限も与えた方が良いと思っています。そうすることによって、助産師が法の隙をぬって、違反すれすれの民間療法を頼ったりする必要がなくなると思っています。

でも、それをするためには、徹底した助産業界の改革が必要だと思っています。過激ですが、今ある助産院はすべて廃止するくらいの覚悟が必要だと思っています。助産師と産科医が協力し合って、同じ判断基準を持ち、同じ危機管理意識を持ち、すべての処置はエビデンスベースド(研究の結果明らかに根拠があるもの)であるべきだと思います。
今の日本の状態では、助産師にそれらの権限を与えることは、危険すぎると私も思います。

こちらのブログを読み進めるほどに、日本の助産院の助産師たちは一体どうなってしまっているんだと、まったく理解不能です。本当に、カルト集団のようですね。恐ろしいです。

日本とイギリスの、資格の名称が同じなだけで、やれる行為や立場の違いをおもうとなかなか表現も難しくなってしまうのですが、皆さんのご意見を拝読していてどうも不思議でならないのが、何故、日本の助産師は“ナチュラル志向”に流れていくケースが多いのだろうか、ということです。
助産師を目指す方にたまたまそういう方が多いのか?
でも以前に、日本の助産師教育者の中に既に思想が偏っている方がいらっしゃるというお話を聞いていますので、私は教育の違いにも凄く興味があります。
もしも日本の助産師に今後、会陰切開や縫合をさせるようにしていくとした場合、私も
過激ですが、今ある助産院はすべて廃止するくらいの覚悟が必要だと思っています。
は鉄則だとおもいますし、もっと過激におもわれるかもしれませんが、教育者の見直しも徹底してされるべきだとおもいます。医療や医師を否定する、批判的な考えをお持ちの方は本来、切開や縫合が許されていない現在であっても不適格だとおもっています。

そして不思議が増えることに、suzanさんの

日本とイギリスでは、産科医師の仕事からしてすでに、日本とは異なっています。
国ごとに医療現場での医師の役割が違うのは、ある意味当たり前でしょう。
異なる文化的背景の中で医療制度ができてきたのですからね。

から、医師の方たちは異なる文化的背景の中での教育の差があっても、ある程度は同じ志であるようにおもうのです。勿論、医師の方のなかにもトンデモな方はいますが、それでも日本の自然至上主義の助産師の偏り具合ほどではないとおもうのです。だから余計に、日本の助産師教育に問題を感じちゃうんです。

ふぃっしゅさん

日本の助産制度の浅さ、偏り、問題点については、本当に「遅れている」と思い同感です。
こちらのコメントでも何度か書きましたが、私は看護師勤務後に助産師になったのですが、同じ看護教育を経たとは思えない独特の助産師の気質に驚くことが多くありました。特に、桶谷式マッサージの中での偏った食事指導や舌小帯切除についての疑問が大きかったのですが、そのような未検証の考えに基づいたさまざまな民間療法や民間資格が跋扈していることが問題だと認識されていないどころか、開業のために利用さえされている現実は、本当に母子のためだろうかと思います。

母乳育児の方は大きく分けると桶谷式と、そこから分派の山西派があります。母乳育児の相談専門として助産師の方が開業できるシステムが不思議におもうこともあるのですが、本来は病院と完全に連携しているべきなんでしょうね。何故か開業出来ていることからして、『母乳育児の専門家』として感じられてしまっています。
あと、書いていておもったんですけど、新生児のことって小児科医の医師の方が専門家としていらっしゃるし、妊娠中から分娩に関しては産科医の医師の方が専門家としていらっしゃる、相談できるけど、分娩後の母親の専門家としては勿論、産科医の方たちが専門家としていらっしゃるのだけど、なんとなくグレーゾーンが出来てしまっていて、隙間産業としてしっかり成り立ってしまったような気がします。
確かに、慣れない育児への不安とか、そういう些細なことへ寄り添うようにして関わってくれる人がいるっていうのは、凄く嬉しかったり心強くなったりするとおもうので、はまっていってしまうお母さんたちの気持ちも理解出来るのですが、怖いのは、自然至上主義への入口になっていることが多くあると感じられることです。一時の安らぎ的に存在しているだけならば、私は問題におもうことはなかったかとおもうのですが、そういう施設の中でも医療批判をしていることが新たな自然至上主義の母親をうんでいるから、問題視するのです。何故、助産師の方たちはこういう方向に流れてしまうのか、それが日本特有なのか、もしもそうなのだとしたら、何故そうなってしまうのか。

私は以前から何度も同じことを繰り返すばかりなのかもしれませんが、日本の助産師の教育システムがおかしいのではないかと、一部であったとしても、教育者の中に問題があるのではないかとおもえてならないのです。でもメイは

私は日本でも助産師をしておりました。神谷助産師と同じ助産学校の出身です。

とお話されているので、たまたまおかしい考えに流されてしまう人が多くいるだけなのでしょうか...

H助産師のように、今の制度以前の頃から助産師をしていた方(産婆であった方)の中には、社会的な立場の違いの経験から、「今よりも自分たちに優位だった」のか、昔のままでいようとする人がいてしまったことは否めないとおもうのですが、でもそれはあくまでもある一定の年齢の方たちまでで、産婆であった経験がないはずの人までが産婆であろうとしたり。


ちょっと今回の自分で書いたタイトルから外れることになりますが、メイさんと医師Xさん(本当、ブログではお久しぶりです!!)とのやりとりから、移民の方たちのお話がありました。

学生時代の曖昧な記憶ですが、英国内の妊産婦死亡の第一の要因は肥満(BMI40以上)、第二の要因はコミュニケーション不足。それと、亡くなった方には、英語が第一言語ではない方が多かったと記憶しています。

あぁ、私たちって、あったりまえに守られているんだなっておもいました。自然、自然って、情報を得ることからしても、その環境に甘えてのことであって、本当に野に放たれたようにして生きるしかないとしたら、まともな情報だって得られないんですよね。凄く深い問題に触れた気がしました。


私は琴子のことで、当時の日本助産師会の方から誌面を通じて“産む側も勉強を”と言われたのですが、助産師になる方たちがどんな勉強をしているのか、実態を知りたくてなりません。最初に自然分娩至上主義をもたらしたのが誰(達)なのか。その意思・思想が教育に反映されていなかったのかを知りたいです。
イギリスとの違いについての話ではないようにおもわれてしまうかもしれませんが、会陰切開・縫合問題を含め、イギリスと日本の助産師の教育システムの違いを知りたいと思いました。