「自然分娩の病院だから」と難産の自然出産強行

当時の自分が甦るようです。「そのような思想(哲学)の場所を選んだのでしょう?」というご意見もあるだろうし、自分でも自分をそう責めています。だからこそ、このような悲しい、残念な結果から私たちは学んでいくべきだともおもう私がいます。やっぱり、“自然分娩”というものに固執した考えを持つ限り、その犠牲の多くを背負うのは、一番弱い立場の胎児・新生児、我が子であるということだと。

病院でありながらも帝王切開が出来ない場所を選んだこと(事実かどうかは決定づけて言えないけれども)、それが結果的に搬送すら拒むこととなってしまったのかとか、当時の自分と重ねて考えてしまいます。

この裁判の報道がこれからも継続していただけることをお願いしたいです。