亡児、という悲しい事実

いつも近くにいるよって言われても、それは私たちがそう願っていることを肯定してくれて、決してそれは嫌じゃないけど、でも目に見えないのだから辛いのにはかわりない。それでも辛いだけじゃないのだ、きっと本当に近くにいるのだっておもうようにして、一生懸命、リンズたちに「お姉ちゃんが見ているよ、お姉ちゃんに恥ずかしくないように生きなさい」って言ってみたり。子どもは素直だから、私以上にお姉ちゃんがいるっておもっていて、本気でお姉ちゃんを気にして生きてくれている。
こうやって、琴子は家族として生きてくれている。

それでもやっぱり、心の中の琴子はちっとも成長していない。あの日の、赤ちゃんの、目を瞑ったままの姿でいるだけ。
妹も弟も、とっくにもっと大きくなって成長している。並べば、琴子がいつまでも一番小さい。



時々、個人的にメールで「琴子ちゃんの御陰で子どもの命を優先する選択ができました」って言ってくれる方がいて、とっても嬉しい。
そして憧れる。あの日までに何故、自分は知ることができなかったのか、私にも考える機会があったのではないかと。そういうことも含めて、琴子が教えてくれているたくさんの問題が、私と琴子の日記。妹と弟の日記とは違うものなんだけど、凄く大事な日々。だから、惨めになりつつも、そういうメールは琴子へと届いたものだから、捨てられずにずっと持っている。


生活の大半で我慢を強いられている亡児への想いを、ずっと抱えていく私たちの親としての懺悔の想いを、誰かの名誉やくだらない権力の使い方のために闇に葬ろうとしないで欲しい。堂々と、話し合うなり、本当の意味での改善を目指すことに使って欲しい。一人一人が、私たち親のとっても大切な子どもだったのだから。