「元はと言えば、医師が私たちから奪ったのだ」
病院勤務の助産師ふぃっしゅさんのブログからです。
院内助産とは 7 <産む人にとってのイメージ>
これが格付けのようなものだとおもいます。もしかしたら自宅出産の前に
無介助分娩>
があって、“夫婦・家族だけでやり遂げました”みたないものもあるかもしれませんが、今日は見えないことにしておきます。
私は開業した助産師の方や、ふぃっしゅさんがいうように
助産院あるいは院内助産院をユートピアのようにとらえて、病院での出産と対峙させていく、いつの間にかそういう感覚が病院出産を選択した方たちの中にも広がっていくことが心配です。
の、正にその渦中の“そこで産んだ人たち”から発せられる言葉には
「元はと言えば、医師が私たちから奪ったのだ」
という女性の気持ちが込められているように感じるからです。
出産は女性が本来持つ自然に備わった力でとか、助産師は女性だから妊産婦のことを誰よりも理解できるとか。特に助産師は女性だからというのは、同じ女性でも出産経験のまだない助産師の方でも仰ることがあります(私は「産んだこともないくせに」というつもりはないので、ここは誤解して欲しくないです)が、これは「医師に男性が多い」ということをさりげなく否定する材料にするために用いられているようにおもっています。
戦後もしばらくは自宅で産んでいたとか、そういうのも「産婆だけでやっていられたことだ」と言いたいわけで、常に病院での出産には否定的な話が散りばめられています。
医師に委ねたのは、当時、助けられるなら助けて欲しかったと苦しんだ、亡児の母親たちの想いも強かったからだと私はおもっています。“便利になった”という気持ちもあったとおもいます。様々な想いがあったとおもいます。それは奪ったのではなく、委ねたのではないでしょうか。別に産婆が要らないとか、ダメだったとかではなく、「病院で一緒に」と想っていたのではないでしょうか。