9年前の今日、琴子は助産所で死にました
今日は琴子の9歳のお誕生日で、9回目の命日です。
ブログの記事は誕生日とは関係ないことにしようかなとか、少し考えて今を迎えていますが、今日はやっぱり気持ちがあんまり晴れません。
吹き飛ばしたくて色々としたいとおもっても、やっぱり無理なんです。
琴子は今日の11:30頃に生まれた時を迎えて、午後になったら死んだ時刻を迎えます。
9歳の子が死んでしまったら、きっと
「あなたを忘れない」
って言ってもらえます。でも、生まれてすぐに死んだ子どもに対しては、大半の方が親にまで
「忘れろ」
と言います。忘れろと言う方にも親切心があってのことのようですけど、忘れられるわけがないのに何度も言われると、「忘れられなくてすみません」とでも言わないといけないのかとおもうほどです。
2003年の今日は日曜日でした。曜日が違うだけでも救いですが、やっぱり今日は琴子が生まれたことを祝いつつ、死んだ理由があまりにもお粗末で、自分自身を責める気持ちが喉を詰まらせます。
直接名前を呼んでみたかったな。9歳だから、背中を見送る日の方が多いのだろうから、私に振り返る琴子を見たかったな。
そのうち会えるっておもう毎日は、意外と長いです。
助産院や自宅出産で産む選択肢があるのなら、助産師や母親の生き方基準での判断ではなく、母子の安全を最優先した判断をできるように情報を流し、実施して欲しいです。
琴子が死んだ経緯を少しはまとめて書けているかなとおもい、再度。
Vol. 338 "自然なお産"ブームに警鐘を。助産院・自宅分娩の問題点を広く考えて欲しい *1