他人の迷惑も考えない不自然な「無介助分娩」

以前に「助産院の悪用の仕方」を書きました。読んでくださった産科医の方からご意見をいただき、今、わざわざ離島へ移住して自宅分娩をしたがる人が増えているという事実を伺うことができました。過去に自分が自宅での無介助分娩に成功したという母親自身が、カリスマのようにふるまっているような話もあるそうです。無介助分娩については当ブログでも何度も記事にしていますが、これからは「離島へ行って産む」ということについても考えていきたいと思います。
この産科医のA先生は離島で実際に勤務されています。健診にだけくる妊婦さんに自宅での無介助分娩のリスクを説明しても、話を理解しようとしてるようには感じないそうです。多分、最初から「聞き流すつもり」で受診しているのだろうと思います。こういう方たちのネットワークでは、「“自分たちの選ぶやり方を理解してくれない人たち”と話をしなくてはいけないとき」という想定がよく話題に出ます。周囲とは常に意見が違うので、対立しやすいんですね。だから、「聞いてるフリして、実際にはやらなければいい」というスタンスになってしまうと、当時の仲間との経験からも想像できます。ですが、A先生からしてみると、目の前の妊婦さんだけの問題ではありません。

島の北端や南端の地域にそのような方々がいるのです。そんな人が出血性ショックなどで当院に搬送されたら・・・(実際によくあるパターンです。)。
100歩譲って、私や当院スタッフに負担がかかるのはいいです。
でも同時に進行している他の妊婦さんにご迷惑がかかったら・・・。
でもそんなことをこのような方々に言っても、「自分たちには絶対そんなこと起きない。」という根拠のない自信をおっしゃいます。

そうなんです、自然分娩を薦める人たちは「あなたらしく」って言うけれども、自分らしければ他人に迷惑を掛けても良いという意味なのか、そこが完全に欠落して無責任に言っているだけなのです。


こういう方達は仲間への優しさはもの凄くあるのだけど、病院で最初から産もうとしていた人達のことまでは考えてくれていません。


最近、非常に残念に思う記事をツイッターで知りました。
UAさんロングインタビュー(amritara)
の中の「移住・出産・子育て編」で

自宅で主人と二人で産んだんですよ。自宅出産は前回もやっているんだけど、前回は助産師さんを呼んでいるんですよ。今回は助産師さんも呼ばずに主人とやってみようって。

とはっきりと無介助分娩をしたことを語られています。このことを助産師会に先日電話した際に伝えましたら、ご存知なく(それは仕方ないとおもいます)、確認されるということでした。
こういうのは記事にされる方にも問題があるとおもいます。添加物や原発のことなどで経済、社会問題を語る!という姿勢を見せていますが、医療を受ける側としてのモラルがあまりにもない、というのはいかがなものでしょうか。読者が影響を受け、島の中の周産期医療、他の産婦さんや赤ちゃんたちに迷惑を掛けてしまうかもしれないという、その可能性を生み出すかもしれないことをどう思われるのでしょうか。この記事を見て真似る人が増えましたと、そして離島での周産期医療の抱える問題はより深刻化して、犠牲者、被害者も出てしまうとなることは考えられないのでしょうか。それこそ、自身の経済しか考えていないと、ご自分たちが話題にしている批判そのものではないでしょうか。


「私は迷惑をかけていない」ではないです、「私は迷惑を掛けてしまうかもしれない」です。「でも私の出産は無事に終わりました」で片付けてはいけません、
「私の(たまたま上手くいっただけの)話によって、誰かが誰かに迷惑を掛けてしまうかもしれない」
と、そこまで考えてくださいませんか?