闇に葬るべきではない、“誰も知らないわたしたちのこと”

今日は本のご紹介をします。

誰も知らないわたしたちのこと

誰も知らないわたしたちのこと

発売前なので、当然私も未読なのですが、この本の紹介文を読んだだけで、私にはある悲しい出産で苦しんでいた天使ママのことがすぐに蘇り、あの天使ママさんは今、どうしているのだろうかと切なくてたまらなくなりました。

このママのお話は以前にもブログでしているかとおもいますが、もう一度させてください。


私が琴子を亡くしてからしばらくは、ネットで天使ママと出会ってお互いの子どもがどうして亡くなってしまったのか、そして今どうしているだろうかと知り合っていくのが唯一の支えとなってくれていました。
出会いのきっかけとなっていたのは天使ママたち集うサイトの掲示板でした。
あるとき、そこに今回の本の主人公の方のように、お腹の中のお子さんに異常があると知り、選択肢の無情さに苦しみながら選択的人工妊娠中絶をしたという方からの書き込みがありました。そう、この方は「仲間に入れて」って気持ちで書き込まれたのです。私は違和感を感じることもなく、お話を読んで泣いて、これからもっといろいろとお話がしていけたらとおもっていたのですが、予想もできずにいた事態が生じました。それは、選択的人工妊娠中絶での死産を「一緒にしないで!」という拒絶の声が多く、それも一気に押し寄せるようにして、この選択をしたママを責めました。
でも、責めてしまうママたちの苦しみも否定しきれないものがあったんです。確かに、「どうしても死んでしまうのだとしても、天命を全うさせてあげる選択よりも、中絶を選んだのだ」という意見もわかる。もしかしたら、理想的なのはその意見だろうともおもえる。でも、選択的人工妊娠中絶をそんなに簡単な気持ちで選択できるとはおもえない。だって、それは普段話題にあがる中絶とは全く違う次元だし、こうやって苦しんでいるからこそ、掲示板に書き込んで一緒に話せる仲間を探しているんだから。天使ちゃんを想うからこその行動だっておもえるからこそ、仲間なんじゃないかとおもったのですが、このママが自ら「すみませんでした」という言葉を残して去ってしまいました。

責める気持ちを書き込んだ方たちだって、子どもを亡くした直後の苦しみの中でバランスを崩した精神状態が当たり前になっているので、私からしてみたら、どの角度で見ようとも、子どもを亡くした後は地獄でしかないということの証でもあるとおもっています。優しくなれてもなれなくても、どの人もみんな、泣いてくらしていました。


今回のこの本は、私にとっては他人事にはおもえず、また、そのタイトル通りに感じたことも当時の私にあったので、読む前から既に苦しい気持ちに陥りつつあります。
こういった本によって出生前診断や選択的人工妊娠中絶のこと、そして苦しんでいる方がいることを知って、そこから次の誰かのためにより多くの方に考えていただければと願っております。

そう、代替医療にも関わりある話しも複数出てくるそうで、著者の方はイギリスにもいらっしゃったためか、ホメオパシーも絡んでいるそうです。こういう面でも興味深い内容です。

ちなみに、「タイトル通りに感じたことも当時の私にあった」というのは、テレビでニュースはやっているけど、自分の家の子どもが死んだというこのもっとも大きなことはまったく誰にも知られずにいて済んでしまって、悲しいというよりも、怖い気持ちもありました。「闇に葬る」ということを否定できなくて、恐怖という感覚というのか、悲しいというのとも違ったものがありました。そして、テレビで人が笑っている(テレビで他人を見る以外に、滅多に人に会わない日々がいくらだって続いたものです)のが不思議でならなくて、「どうしてこの人は笑っているんだろうか」っておもってばかりいました。

この世が地獄でも、あの子達は天国にいるんだよねって、雲の合間からこっちを見て微笑んでくれていますよねってこの著者の方にも、そしてあの日の掲示板で辛い想いを深めてしまったママにも届けたいです。