都合の良い否定と肯定

自宅出産や助産所、そして無介助分娩を選ぶ人たちだけではありませんが、自分のしていること、考え方が崇高なものだと思い込んでいる方たちほど、相手の意見が自分にとって肯定的なものか、それとも否定的なものかだけで話を終わらせようとするところがありますね。最近、自分の安易な選択・行動に対して注意してくれる意見を「否定的な考え方をする人」として、「否定ばかりして生きているのは自分は嫌だ」的発想で「人として残念なことだから相手にしない」というような宣言をしていました。

見ていて、とってもとっても滑稽でした。


医療を徹底的に否定している自分たちの姿勢は、「否定ばかりして生きている悲しい人」には見えないらしい。


都合良いんですよ、否定して生きていたって仕方ないとかなんとかと、完全に自分に酔っている。自分の物の見方はカッコいいと思って欲しいんでしょうね。「否定していたって仕方ない、前を見ないと!」みたいなこといって、自分たちに都合の悪い意見に対しては排他的な姿勢になっていると気が付けない。病院での事故などは経験がなくても受け売りだけで「今そこで見てきました!」の勢いで捲し立てるのに、助産所や自宅出産でも事故がある、子どもは死んでいると言われると、「自分の経験を乗り越えられない残念な人」と見下して誤魔化す。

自分の意見を正当化するためだけに受け売りで否定ばかりして生きていることは、肯定的な生き方なのか?