「ポジティブシンキング」が正しいわけではない

某タイムラインで頻繁に
「明るく」
「前向きに」
「笑顔で」
とか、
「辛いことも気の持ち様で〜」
といった内容があり、ほぼ毎日、このような意見が書き込まれていました。


人はお互いに明るくて前向きで笑顔なことは望んでいることも多く、そして好まれることだとおもいますが、私はこういうの、不自然な要求におもえてならず。

琴子が亡くなってから1ヶ月も経たぬ頃に、近隣に住む知人が様子を見に家に来てくれたのはありがたいのですが、泣いていた私を見るなり、「まだ泣いているの?」ときつい口調で言ってきました。
このブログにも時々、「いつまでも死んだ子どものことを引きずって、死んだ子どもが浮かばれない」的なことを書き込まれる方もいらっしゃいます。

価値観の押し付けというか、やっぱり、経験からしか知識は生まれないのだと痛感するばかりです。

明るく生きることは、人にお願いすることではなく、自分が実行していればそれで良い。
「悩み苦しむ」というのは、私からしたら前向きなことでして、愚痴をこぼすのも、前進したい気持ちがあるからこそにおもえる。

笑顔は大事なことかも知れないけれども、そのときに、誰かが抱えている問題を端へ押し遣るほどに大事なものでもないとおもう。


「明るく」
「前向きに」
「笑顔で」
とか、
「辛いことも気の持ち様」
…なんとなく、本当の優しさは欠けてしまっているような気がして、目にするたびに不快なものが残って、溜まっていってしまう。

辛い時には思いっきり泣くし、気が済むまで話を聞いてくれる人が必要だったり。


タイトルに書いたように、「ポジティブシンキング」が正しいわけではないと思っています。元気でなにも問題ないとか、大したことない状態だったり、解釈にも個人差あるし、本気で受け入れられない人にとってはストレスでかえって体に悪いし。

妊娠、出産の情報だって、自分に都合良い解釈で前向きになってばかりいると、私の琴子が死んでしまったように、リスクが見えなくなってしまうこともあるし。


後ろ向きと言われようと、どうであろうと、リスクについてはもっと私たちに伝えて欲しい。

辛いことは気の持ち方を変えても、辛いんです。簡単に変えられないことだから、辛いのです。

いつでもどこでも泣かないようにブレーキをきかせて頑張っている人もいるので、できれば、「いつでもどこでも笑顔で明るく!」にもブレーキをきかせて欲しいなぁと、なぜだか久々の更新がこんな話ですみません。