ベビーマッサージについて考える002

うろうろドクターさんのブログから
赤子の首をひねるとは…
ベビーマッサージというと、撫でるとか、手足を軽く持ってバタバタっとさせるとか、背中や顔のリンパマッサージみたいなのを想像しますが、かなりハードな内容のようです。「ズンズン運動」といわれてたそれ、画像をみると、怖くなりますね。赤ちゃんも苦しそう...映画やドラマで首捻って相手を殺す…そういうシーンを連想してしまいました。最初にやったとき、怖くなかったんでしょうか...私の知っているヨガの指導者は、「首は怖いから、ゆっくり動かして」とか、やたらといじらないようにしてました。
どこかの掲示板で「この画像をみても新潟県警は問題なしにしたのか」みたいなご意見があったんですが、本当、そのくらいに異様でした。


子どもに良いからって言われると、自分の子どもにベストを尽くしたいとおもうママたちはついつい受け入れてしまうことがあって、商売先として狙われがち。アトピーが治るなんて言われたら、食事制限や洋服の素材とか、それこそ、それまでの自分の食生活まで否定されて凹んでいるママにとって、子どもへの懺悔の気持ちも後押しして、多少の行為も「乗り越えるべき壁」って思っちゃうんだろうな。

「ズンズン運動」は知りませんでしたが、助産師の問題を考えるためにベビーマッサージの本も数冊は読みました。いろいろな資格が作られて商売になっていく過程も見ていました。それで余計に思ったんですが、お母さんが優しい気持ちになれているときに撫でてあげればそれで十分だということ。なんかもっと、ママの気持ちをほぐしてあげたくなる。これをやらなきゃダメとか、良くならないとか、そんな究極の話は大人の都合。
1回の施術に一万円という設定とか、見ていてそういう面でも驚いちゃいます。私が子どものために関わる事業はむしろ、子どものために破格に安くしたりしているし…いや、「ズンズン運動」が安ければいいわけではなくて(内容が問題
)、なんていうのかな、私たちママという存在は、常に商売で狙われているって思っておいた方が良いんです。


「こんな赤ちゃんの泣き顔を見てもやらせていた親が悪い」ってコメントも画像にくっつくようにして流れていたけれども、「この苦しみを乗り越えたら明るい未来が待っている」って信じてしまった状態から脱するのはなかなか難しいもの。育児のグループ関係もあったり、流されていってしまう。それは私自身も経験しているので、そこを責められても仕方ないともおもうのだけれども、琴子があのまま無謀な選択であっても無事に生きていてくれた場合、明らかに「誘う側」になっていただろうとおもうから、そういう方への警鐘も必要におもっています。これは以前から助産所分娩で良かったと経験談を熱く語る人たちの問題として言っていますが、この「ズンズン運動」だってベビーマッサージだって、多くの「素晴らしい経験談」が勧誘になっていたのも事実。


助産師の人たちは「子どものことも熟知している」とよく掲げられていますが(だから新生児の一ヶ月検診もするんですよね? それも疑問なんですけどね)、それが奢りとなってしまっているのか、時として、赤ちゃんを人形のように扱う行為に繋がっているように感じることはありませんか? 

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補足

「最初にやったとき、怖くなかったんでしょうか...」というのは、問題となっている代表、施術者に向けたもの。
「こんなことやって大丈夫だろうか?」という戸惑いがなかったのか? 戸惑いがあっても、最初の数人の赤ちゃんが大丈夫だったことから、感覚が麻痺して、どんどんと過激なことをしていくようになってしまったのかね…