ママに天使からのメッセージが届きますように・・・

今年もあとわずかですね。
今年はとにかく、ブログの更新ができない年でした。
琴子は事情をわかってくれているとおもうのですが、申し訳ない気持ちがあります。

年末はクリスマス、お正月の準備と、人が賑わう季節ですよね。
そして、年が明ければめでたいムードばかりのテレビや人々。
子どもを亡くした親にとって、これほど酷な季節もないのでは? と言いたくなるくらい、心がついていけなかったのを今でも鮮明に覚えています。
身体のどこかが、あのときの感覚、悲しさを覚えてしまっているようです。リセットできないし、この忘れられない気持ちは辛いものだけれども、琴子が残していったものなので、大事にしていきたいものだとも思っています。

何度も、何年も同じことをお話ししているような気がしますが、帰省するつもりになれずに家に引きこもっていた私に、実母からお正月に荷物が届きました。
中に、「琴子ちゃんへ」と書かれたお年玉。
孫を死なせてしまったという申し訳なさや、受け取るはずだった琴子の人生を奪ってしまったと、苦しくてしかたなかった。

何故か、新生児の死は世間では軽く扱われがちで、普通に年賀状がきたりすることが多いようです。とにかく辛いことが多いとおもいます。どんなときでも思いっきり泣いていいし、心の中で「やめて!」って叫ぶのは間違っていることではない、私たちは十分我慢しているし、そんなに簡単に笑顔になれないよって。子どもが死んでしまったのに、どうしてお腹が空くのだろうかと、自分は母親として白状ではないのか? と、そんなことからして悩んだり、苦しかったり。

明日になったら新年になる。そしたら、また私たちの子どもも一つ年をとる。死んだ子どもの年の数は数えましょうよ、当たり前ですよ、生きている子と同じように、心の中で一緒にいるんですから。見えないだけ。ここにいないだけ。声が聞こえないし、触れないけれども、一緒にいるんですよ、心の中でいろいろなことを教えてくれるって、すーっと心に入ってくる言葉がどこかにあるはず。
例えば、私はあるときに、琴子と同じ年の子ども達がこの曲に合わせて踊っているのを観たんです。

広い舞台、そのときに初めて聴いたので歌詞はよく聞き取れず、よくわからないのだけれども凄く気になって自分で調べたら、琴子がこの曲を通じて、私を励ましてくれているような気がしました。
歌詞
中でも、

「方法」という悪魔にとり憑かれないで
「目的」という大事なものを思い出して

には唸らされました。出産で大事なのは何なのか? ここを私たちは方法にとらわれてしまい、一番大事な、子どもを無事に産むという目的を見失ってしまっている…医学によって守られていることを当たり前におもっているから、「不要な医療介入をする」と軽率にも発言するーそれも、医療者である助産師が導くようにそう言っていることは少なくない。

他にも、歌詞の随所に琴子の言葉が重なってくるようでした。この曲を初めて聴いたのが琴子と同じ年の子達の演舞という、こういうシチュエーションにも惹かれる要素が強くあったのかもしれませんが、こうやって、気になるものには天使からのメッセージが感じられることが多い。だから、今は辛いばかりだと思うけれども、そこからでもあの子達の存在を感じられる日がくるとおもうと、そうエールを贈りたい。
一緒に頑張ろう。いつか私たちも天国にいけるように、あの子達に会えることを楽しみにしましょう。


今年メールくださっている方に、まだ返事を出せずにいたりします。大変申し訳ありません。年を越してしまいますが、お待ちいただけたらと願っております。
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また来年も宜しくお願いいたします。