嘱託医無しと無許可だけが問題なわけではない

nomnomさん、ありがとうございます。
出産後の出血で死亡、助産師に罰金の略式命令魚拓
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 相模原市南区の「のぞみ助産院」で2013年、出産後に大量出血した女性が救急搬送の遅れから死亡した問題で、神奈川県警が業務上過失致死容疑で書類送検した女性助産師(69)について、横浜区検は29日、同罪で横浜簡裁に略式起訴した。

 簡裁は同日、罰金50万円の略式命令を出した。

 起訴状によると、助産師は13年4月27日夜、女性(当時33歳)が出産後に大量出血したのを確認したが、すぐに医療機関で治療を受けさせるなどの対応を怠り、翌28日に搬送先の病院で死亡させたとされる。

 助産院と助産師は、医療法で定められた市長の許可を受けず、緊急時の嘱託医療機関も確保しないで助産院を経営したとして、医療法違反容疑でも書類送検されたが、同容疑については不起訴となった。

嘱託医はいなくてはいけないはずだし、この「のぞみ助産院」は行政の許可を得ずに助産所を開業していたという、他の業界に置き換えても信じられないことが医療界で行われていたという有り得ないことに対して、更に有り得ない決断がくだされてしまったという、非常に残念な気持ちになりました。
更に正直に申せば、私は「嘱託医があるから安心・安全」ともおもっていませんので、どんな決断がくだされたとしても、問題解決のために助産師の方達がどういう思想で開業しているのか? というところと、助産師の方達のそのような思想を根付かせている可能性のある教育の見直しなど、この件で終えずに根本からの議論をしていただければと願っています。
これらの問題をこれから分娩場所を選ぶ方に知ってもらい、自然分娩がいかに残酷で死と隣り合わせのことなのかをきちんと想像してくれる機会にしてもらえたらとおもっています。
私の娘・琴子だって、提携している病院や嘱託医がいるという助産師に搬送をお願いしても拒否されて死んでしまいました。病院で出産していたら無事だったろうと、帝王切開で産んであげれば良かったのにと悔やんだって、死んだ子どもはかえってきません。臨月まで元気に私のお腹を蹴っていたのに、出産の場で死んでしまったんです。
生まれるはずの行為の中で死んだんです。
嘱託医との提携がきちんとあっても搬送をしてくれない問題は、きっと琴子以前からあったのに、私が琴子を産む前に知ることができなかっただけ。でも、もしも知ったとしても、まさか自分の子どもが死ぬとか、そういう不幸が我が身を襲うかもと、リアルに想像して考えることができなかったかもしれない。そのくらい、私たちは「女は産む力を持っている」とか、プラス思考といわれる妙な思想に洗脳されている可能性がある。

また、自宅出産だけを扱う無床の開業の場合だと嘱託医は要らないとか、過去、産科医しか嘱託医になれないとなったときにそれでは困ると反対運動をしたのが、一部であれ助産師の方達(助産師として有名な方も含まれていたりする)だったりしたのです。なぜ嘱託医が産科医に限定されたら困るのか? それは、提携してくれる産科医がみつけられそうもないから開業できなくなるじゃないかという、そういう理由がメインでしたね。そ開業さえできればあとはおかまいなしと解釈するしかないですよね。
あと、助産師には「妊娠・出産は病気じゃないのだから」という言葉を掲げる方も多く、それによって私たちは「病院が(じゃ)なくても大丈夫なのだ」という考えになってしまいがち。違います、今回のこの亡くなってしまった方だって出産後の急変だったように、助産所で亡くなっている方のほとんどが急変によるものだとおもえば(本来、開業助産師はリスクのある母体を請け負ってはいけない)、「健康的な私は大丈夫」が通用しないことだと気付けるはずなのです。
「産み方は生き方」だなんて言葉、これを自然分娩選択者だと一度は聞いて誇りにおもってしまったこともあるかとおもうのですが、じゃぁ、琴子が死んだ私の生き方はどうだったというのか? くだらない。非常にくだらない“自然分娩への誘いの常套句”だと私はおもっています。
今回の件、この程度で許されないはずだという気持ちを抱きながら、このようなことが放置されていたという問題(この助産所の問題は以前から周知のことだったらしい)や、体裁を取り繕っているだけで思想は同じか似たような人物が開業していないか? 嘱託医がいれば安全で安心なお産ができると言えるのか? そもそも、助産院や自宅出産は安全なのか? ということを見直す機会にしていって欲しいと願っています。