お墓参りと琴子の思い出
今日、やっとお墓参りに行くことが出来た。
夕べ、急に行くことになったので、特別なものが用意してやれず、途中のコンビニでアンパンマンのうちわを買った。
久々に訪れた琴子のお墓には、数日前に供えられたお花があった。
花は枯れていたけど、茎と葉はまだ青く、旦那曰く
「1週間くらいかなぁ」
ということで、義両親は先月から北海道旅行中、多分、近所に住む遠縁の方だろうとおもった。
凄く嬉しかった。
ありがとうございます。
道中に思い出すは納骨の日のこと。
それ以降にも何度か行っているけど、裁判が終ったという報告も兼ねていたからか、大きな節目の記憶が甦る。
後部座席に座り、隣のチャイルドシートに座るリンズを見ていたら、それまでは納骨の日のことばかりだったのに、急に何故か琴子が亡くなった直後のことが気になった。
そう、あのとき旦那はどんな想いでチャイルドシートを外したのだろうって。
H助産師の助産所に出向く前から、“その日”を楽しみにして、生まれたての子を乗せるべきかわからなかったけど、チャイルドシートは準備万端、後部座席に設置してあった。
陣痛でのけぞりながらも、
「帰りはあそこにドラッチ(胎児名)がいるんだな」
と、楽しみにしていたことも覚えている。
そう、チャイルドシートには人から貰ったまま、ミッキーマウスのカバーが掛かっていて、私は無精者だから、お下がりであっても
「洗ったって言っていたしな」
と、気にせずにそのままでいようとしていたのだけど、旦那が知らぬ間に
「洗っておいたよ」
と言って、カバーを掛け直していたことも覚えている。
とっても楽しそうな、ワクワクしている表情だった。
亡くなってしまった琴子を抱きながら、それも
「最初で最後のドライブだもんね」
と、私と琴子は助手席に座っていたから、あの最後のドライブのときにチャイルドシートを見た記憶がない。
そして、次にチャイルドシートの記憶があるのは、くれた友人に本音を言うと見るのも辛くて返却したかったのだが、
「使わないことになっちゃったから…」
と言ったら
「うちも使わないから」
ということで、どうにかして我が家に置いておくか捨てるかを話したとき。
もうそのときにはチャイルドシートは外されていた。
旦那も辛かったと、常に私は意識して感謝しているつもりだったのだけど、私に一言も言わずに黙ってチャイルドシートを外していた旦那の気持ちを想うと、今更なのだけど、凄く辛くなった。
私に一言も言わずに、黙って耐えていたんだなって、切なくなった。
どんな日に外していたんだろう。
晴れていたのだろうか、今日のようにどんよりとした曇り空だったのだろうか。
それを言おうかなとおもったけど、旦那が言わずに仕舞っている気持ちは、もしかしたら私には内緒の、旦那と琴子だけの宝物なのかもしれないとおもって、気付かないままの私でいることにした。
今は琴子に感謝の言葉しか言えない。
色々と教えてくれて有り難う。
私達の家族になってくれて、どうも有り難う。