子を産む母親が「自分に合う」かを中心にしていく背景

毎日新聞(2012年09月17日/東京朝刊)「こうのとり追って:第5部・考えよう妊娠、出産/4 自分に合うお産場所探し」
分娩制限施設? 今、こうやっていうのですか? 検索したけど、他に使われている様子もなかったです。造語?

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そう、死ぬのは子どもか母親です。陣痛なんてもんじゃなく、苦しいのも辛いのも子どもと母親です。それを“覚悟した”というのは自分に酔っているだけです。

しかしこの記事、すごくまとまりがないですよね。産科崩壊についてきちんと述べられたいのかなんなのか。「自分に合うお産場所探し」って、だからそれがもう無理なんでしょうが。自分たちでも取材中にあった方の話で何件も断られたってあるんだもん、自分に合うかどうかなんて言っていられないし、そして、そんなことはどうでもよくて、大切なのは【子どもの安全を守れるお産場所探し】でしょう。

親の思想の下で子どもの命が簡単に消えちゃうこととか、そういうことを全く知らないままで、ただなんとなく良さそうだねっていう感じで記事を作っているのかなぁ。だったら何もしないでくれた方が良いのに。
自然出産が良いと言って薪を割ったり割らせたり、で、そういう生活をしていたと言われる憧れの昔の女性達は、「自分に合うお産場所」なんて概念をお持ちだったんでしょうかね。きっと、全然そんなことおもっていなくて、むしろ「どうやったらこの子を無事に産めるのか?」の方だったとおもいます。そして、「自分に合った」っていうのは、これは完全に胎児を無視した言い方ですよね? 思想が胎児虐待なんですよ。

こうやって、おかしな感覚をごもっともにして刷り込んでしまうんです。無知なだけというのでは許されることではないです、「自分に合う」を基準にする思想の末端で、子どもが死んでいるのです。