情報を鵜呑みにして子どもを亡くしたともいえる

私が琴子を産むために選んだ場所が助産所だったというのは、私が選んだことだという責任論になってしまうのがまだまだ現実。そういう意見があるのは、心のどこかでは仕方ないことだと思ってもいます。そういって私の責任だけだとして済まそうとする人に知ってほしいのですが、そういう間違った選択をした私に影響を及ぼしたのは、そのほとんどが「助産院での出産を美化する経験談」であったということです。
逆子で検索する以前にもネットでの情報収集はしていましたので、「助産院で産んで良かった」から、「こういうことでも無事に産めた!」というような、今思えば受けてはいけないお産を受けていた助産師に感謝するようなものもありました。そして、そういう話ほど影響力は強くあっただろうと思っています。
数は少なくても、逆子のお産も大丈夫だったという話もあり、私はどんどんと間違った方向へと歩んでしまいました。だからこそ、私はそれが「個人の体験のちょっとした報告」で済まされることではないとおもっています。また、そういう間違った行為を繰り返すような助産師、そしてそれらに対して「改善する」といっていたけど注意や指導がない助産師会には疑問を感じます。ネットでの個人の情報発信の影響力をおもえば、ホームページで宣伝している助産師の方たちのブログには常に目を光らせているべきだし、危機管理能力をもってネットで検索して事実確認するとか、そのくらいの労力を惜しまずにしなければいけないはずです。残念なことに、そういうことをしてくれないといけない状態なんです。それらは特定非営利活動法人日本助産評価機構(JIME)のような組織がしてくれると良いのですが、メンバーは医師の方たちや、助産師ではない方、遠い存在の方たちが適しているとも思っています。

ネットで情報を発信するということは、誰かに対して大きな影響を与える可能性があり、それがともすると誰かの間違った判断を促し、私のように子どもが死んでいるということもあるのを知ってほしいです。だからといって子どもを亡くした親がその情報発信者を責めることはできず、「それでもそう信じたお前が悪いんだ」と言われて責められて、そういう結果になった殆どの親が苦しんでいるということも知ってほしいのです。だから、これらの問題は公になりにくく、間違った情報が正されるきっかけを見失っているんです。

自分の間違った話で遠くの誰かが少なからず影響を受け、子どもを失っている人がいたとしたら? 知らずに子どもを危険にさらすことをしていたとしたら?