「島のお産から家族のお産へ」を読んで

伏見裕子さんの論文「島のお産から家族のお産へ」を拝読。

助産院や自宅出産といった「自然分娩を極めたい」と考える方たちにとって、産屋というのはそれはもう憧れの空間であり、それを目指していたら「お産の村」という構想まで出てきたものです。産屋、そして村へ?

出産に対して穢れ観があるのは、血を嫌うからとか、神様と女性の関係などでいろいろと言われていましたが、もうひとつの視点として、「病院で産むことを否定する」ために存在するかのように引き合いに出されることが現代では多いです。産科医には男性医師もいることを否定的に捉える方もいますから、「男子禁制」として産屋がその力を発揮していたというようなものも。とにもかくにも、産屋には見習うことが多いっていうわけです。

伏見さんは数度にわたり、論文で産屋に対しての都市伝説を覆されてきているとおもっています。読んでいると、それぞれの家庭の事情により、産屋(出部屋/デービヤ)で産む理由も変わっていたのもわかります。産屋で産めば十分な食事がもらえるとか、姑と距離を置きたいとか。穢れのためというよりも、現実的な問題。必要性を感じなくて早々に帰る人や、使わないという選択肢も。ただ、舅姑に「私は一緒にいたくないから産屋へ行きます!」なんて関係を悪化させるようなことを言う必要はなく、「穢れ観」を持ち出せば誰からも文句いわれることなく、家を出られたわけですよね。でも、本音を口に出すことではなかったから、「穢れ観」のためだけで産屋で産んでいたというような印象が残っているのでしょうね。もちろん、信仰心が今よりもずっと強く、価値観も違う時代でしたから、穢れ観を否定していることでもなくて。現代の女性たちは「穢れなんて言われたくない!」って気持ちが強いわけですが、昔の女性は穢れを上手く使っていたとも感じました。
産婆、トリアゲバアサンと、誰にどういう理由で頼むかなどもあり、面白かったです。

なぜ面白かったとおもったのかというと、自然万歳な方たちから産屋に憧れるように話があるけれども、それは現代人が“なにか”のために作り上げたお話なんだとおもえたからです。あたかも「自然に産める力があるから」というような理由で存在したかのようにいわれているけれども、昔の方たちが現実的にきちんと考えられていたことが伺え、タイムマシーンにのって昔の方が現代にきて産屋などについての意見を聞いたら、多分、しっくりこないだろうなぁ、と。



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