琴子、11歳になる

もう11年経つけれども、それでもやっぱり、死んだ子どもの年は数えます。

生きていたら、どんな女の子になっていたのでしょうか。
最近、琴子の妹と弟と、「もしもお姉ちゃんが生きていたら?」という話で盛り上がっています。
リンズは「お姉ちゃんが生きていたら、私はきっと、たくさん叱られていたかも」と、自分がよく弟を叱るもんだから、自分も叱られる立場だったろうと言っています。ダンジは「きっと、僕を可愛がってくれたよね?」的なことを言っています。
優しくて、たくさん遊んでくれるけれども、一番上のお姉ちゃんだから、一番偉くて怖いかもとか、いろいろと想像してくれています。

ある物語の中で「生まれてすぐの子どもが死んでしまった」という設定に遭遇すると、ダンジはすぐに「どこで生まれたの?」と聞いてきます。それは確実に琴子の影響で、病院で産んでいたら生きていた可能性が非常に高いということを私が話しているから。

きっと、あと数年したら、リンズもダンジも自分のことにもっと精一杯になって、家族よりも友達との生活が優先されるようになり、そうしたら琴子のことも話さなくなるでしょう。でも、それでもこうやって「お姉ちゃんがいる」ってことを一度はしっかりとわかってくれているから、私はそれで十分。


今日の11時半頃に生まれた時を迎え、13時頃には「温かいうちに抱いてやれ」って言われます。

つくづくおもいます。
産み方は生き方じゃないし、子どもは無事に生まれてくれるように最善を尽くして欲しいって。そのための知識にしてもらえるならば、私は「お前が馬鹿だっただけだ」って罵られても、それでも構わないから恥を晒していこうって。
助産所や自宅で産んだからって凄いんじゃなくて、子どもの無事のために自分のちょっとした希望を引っ込めていく、友人知人の武勇伝に囚われずに子どものために選択するってことが凄いとおもって欲しい。
というか、「凄い」ってことは素晴らしいんじゃなくて、エゴでしかないから。

やっぱり、琴子には生きていて欲しかったし、リンズやダンジと一緒に馬鹿話して、大笑いして、ここに居て欲しかったな。


琴子の死から11年。
まだまだ問題がたくさんで困っているよ。