暑中に琴子から届いた気がする

暑中お見舞い 申し上げます。
暑いですね。
これしか言えない…

夕べ、久々に一人で家の中で過ごすことがあり、そうしたらネットを通じて琴子からまたメッセージが届いたような気がしました。
秋元寿恵夫氏著
医の倫理を問う 第731部隊での体験から
の中にあるという

人の命と常に対決させられているという特殊な立場にある医師、もしくは医学研究者が、彼らのみに許されているもろもろの特権になずみ過ぎ、その専門家気質がヒューマニズムの一線を踏み越えた場合には、このような事件はいつまたどこでも起こりうるのだ。

この一文が私に届いたんです。
(未読。書籍をまだ手にしていませんが、琴子が私に伝えたいとおもってくれたんだと感じたのでこれから読みます)


彼らのみに許されているもろもろの特権になずみ過ぎ、その専門家気質がヒューマニズムの一線を踏み越えた場合には、このような事件はいつまたどこでも起こりうるのだ。
この言葉は過ちを繰り返させないよう、何度も何度も私自身にも向けて言うべきことだとおもいました。
まったく同じような事件ではないから「繰り返している」とはおもわないだけで、実は手を替え品を替え、常に専門家気質のヒューマニズムが奪ってはいけないものを奪ってしまっているということは繰り返していることと同じではないでしょうか。
母親も専門家気質を抱きがちです。集団化して、自分の後に産む妊婦さんに先輩面して経験談を熱く語るところとか、専門家気質ですよね。妊婦に影響力大の助産師の方達も同様に、自らそうであると思ってくれたら良いのにと切に願います。
医師や医学研究者だけではなく、何かのためと勝手に掲げたヒューマニズムは一線を踏み越えやすい。秋元寿恵夫氏の生きた世界の中では次元のまったく違うこととはいえ、琴子が死んでしまったことに通じるものを感じます。

私が助産院を選んだのも、一線を踏み越えた末の影響があったことは否まないで欲しい。『許されているもろもろの特権になずみ過ぎ、その専門家気質がヒューマニズムの一線を踏み越え』ていないか? 目の前の妊婦や母親に病院外での出産、生活へと過剰に誘導していないか? と助産師の方に問いたいのと同時に、自分が産むからといって、子どもの安全性は自然の結果として受け入れるべきだと軽く扱っていないか? 
琴子には生きていて欲しかったけれども、今となってはそれは叶わないこと。でも、琴子はこうやって私にまだきちんと大事なことを教えてくれようとしていると感じています。琴子のことがあったからこそ、すごく心に響く。

胎盤食のことも含め、出産に対してのヒューマニズムには一線を踏み越えてしまっている状態があると、もっと問題視されるべきだとおもっています。