裁判を決心した日
弁護士さんに相談しようと決めたのは、私がリンズを妊娠中の今年の1月。
『このまま出産して、この子が元気だったら、私はもっと琴子のことを出来なくなってしまう』
という焦りと、通っていた病院の助産師さんたちの誠意ある対応に触れ、いかに酷い扱いを受けていたのか、比較を得て初めて知った事実に戸惑いを覚え、気持ちが一気に固まっていった。
このとき、夫は裁判には反対だった。
私達夫婦は自営業で、それもかなり収入源が薄い商売なので、資産なるものは皆無。
毎月決まった額を得ることもないし、収入のない月もあるし、それが続くこともある。
だから裁判を起こすことが出来ないと、経済的理由で諦めてもいたのだが、法律扶助協会(私達の場合は栃木県支部)という存在を知り、早速電話をして、窓口の女性に相談を受けてもらえるかを確認した。
最初の電話では簡単な質疑応答があり、相談だけなら比較的簡単に受けてもらえるそうだ。
なので、私達もすぐに弁護士さんを紹介してもらった。
この電話の段階でどのような相談かも説明していたので、医療裁判に詳しい弁護士さんを紹介してもらった。
弁護士事務所に電話で予約を入れる際、私が臨月の妊婦で、予約の日にもしかしたら出産が絡んで行けないことも有り得る、その場合は夫だけが行くことになるということを了承してもらったのだが(このときは事務の女性との会話のみ)、幸いにも相談に行く日にはまだ生まれず、私も行くことが出来た。
先に余談を話すと、弁護士さんに相談するには30分5000円…などということを聞いていたから、いくら無料でも時計を気にして話すのかなと、そんな不安もあったのだが、16時30分の約束の時間に着いてから、事務所を後にする18時過ぎまで、弁護士さんは時計には一度も目をくれなかった。
琴子の母子手帳を見せ、当時のことを思い出しながら話すのは辛い作業でもあったが、こうやって丁寧に琴子のことを聞いてくれる人に出会うことが稀になっていた日々だったし、いかに鮮明に覚えているかを確認することも出来て、辛い分、貴重な時間にもなった。
弁護士さんは急かす事もせず、じっくりと聞いてくれていた。
母子手帳以外にも、助産所ガイドラインと他、資料となりそうなものは全て持参していた。
母子手帳とガイドラインを手にした弁護士さんが、私達の話を聞き終え、
「資料はお返ししますか?」
と聞いてきた。
私は弁護士さんにも検討する時間と資料が必要なのだろうし、この日のうちに答えを出すことはないとおもっていたので、
「預けていきます」
と、とりあえずという気持ちで深く考えることもせずに私が言ったら、
「預かるということは、裁判を前提にした損害賠償請求を出すということになりますよ」
と言われた。
私にはそうしたい気持ちがあるし、あとは経済的なことを心配しているといっても、実父にいざとなったら頼もうと勝手におもってはいたが、肝心な夫が常に裁判には反対していたので、私から返事をするのは控えよう、今晩ゆっくり考えますとこの場では言い、後で夫を説得しようとおもった。
私がそうおもった矢先、いきなり夫が
「お願いします!」
と頭を下げた。
つられて、急いで私も頭を下げた。
帰路、夫に胸の内を聞いたら、
「弁護士さんが俺たちの話を聞き終えた後の会話で、琴子のことを“人として生まれた命”ってきちんと認めてくれていたから」
と言った。
そう、琴子は私達にとっては最初から“人として生まれた命”。
でも、他人からは“早く忘れるべき命”として扱われ、琴子にはまるで人権もなにもないかのような扱いばかりだった。
夫が裁判に抵抗感を持っていたのは、きっとこういう扱いを公の場で受けるかもしれないという不安があるからだったのだろう。
たくさん辛いことが続いていく中で、更に辛いことを想像するだけの裁判には不安しかなかった。
それが払拭できたのだ。
私にも似たような気持ちはあったから、弁護士さんの言葉は嬉しかったし、夫の気持ちも嬉しかった。
相談中に、弁護士さんから言われた言葉で印象的だったのが
「とても寂しく感じるでしょうけど、結局、民亊というのはお金の額でしか争えないのです」
ということ。
刑事告訴もするべきだと人から言われてもいたので、そのことも相談したのだが、扶助協会では刑事告訴は扱えない規定なのだそうだ。
私達は今現在は刑事告訴は思案中で、民亊の行方次第という、保留の状態。
だから弁護士さんのいうように、お金でしか争えないことには寂しさを強く感じるが、今は仕方の無いこととして捉えている。
それならば、その中で、真実を訴え、認めさせ、二度と繰り返されないようにしてもらうしかない。
でも、他人はこれを誤解する。
起訴したことを知った人と会話をしていると、時々、とても嫌なものを感じる。
それはお金のこと。
「大金を掴む予定」というようなことを言われたような気がして、不快だったことも既にある。
刑事告訴なら「罪の深さ・重さ」となるのだろうけど、民亊はそれらを最終的には金額で計算するしかないから、他人はここしか見ない。
事実、少年犯罪でお子さんを亡くした方が加害者少年を訴えたら、近所の人から
「そんなに金が欲しいのか!」
と言われたそうだ。
少年犯罪の場合は加害者の権利ばかりが守られ、被害者の家族には供述内容・真実すら教えてもらえないということで、民事訴訟を起こすことで真実を知るという、非道な現実がある。
にも関わらず、他人は親の心を案ずるどころか、金目当ての卑しい人間という見方をする。
「裁判は大変らしいから」と、身近で心配してくれる人はいるけど、大変な理由が裁判そのものではなく、こういう世間との摩擦だということも経験し始めている。
当然、裁判そのものでも大変なことはあるだろう。
初めて弁護士事務所を訪ねてから今日まで8ヶ月。
リンズの出産予定日の3日前に訪ねていて、実際にリンズが生まれたのが予定日の3日後。
事務所訪問日の6日後に生まれたことになる。
6日間の間に扶助協会から審査に必要な書類が届き、返送することも出来たし、裁判に向けた気持ちに戸惑うことなく分娩に挑むことが出来たことには、琴子の力を感じる。
そして初めての賠償請求を出した4月から起訴までの日々、訴状案をやり取りしたりしているうちに、琴子の誕生日と命日である8月31日が近付いてきて、時を留めることなく、その日に起訴をするということが出来た。
「偶然だよ」って言う人もいるかもしれないけど、偶然と必然は結局、表裏一体。
だったらやっぱり必然なんだ、琴子が手伝ってくれたんだ。
琴子、ずっとずっと、一緒に歩こうね。