それでも分娩記録?

あるはずのないものが存在する。

私と琴子のの分娩記録は、出産当時は記録されていなかったので、日本助産師会に出向いた後、助産師会の人がH助産師の家を訪問した際にも、話にすら出なかった。

カルテがないことも既に認めていた。

カルテに関しては、今回は現段階ではないままになっているのだけど、分娩記録ならあると、11月の弁論準備の際に被告代理人が言ったので、提出を求められ、今回の弁論準備にて提出された。

うちの弁護士さんが複写した物を送ってくれることになっているのだが、まだ届いていないので、どんな内容なのか詳しいことがわからない。

でも、裁判中にチラッと見えていた内容だけでも既に間違いがあって、そもそもH助産師は琴子の身長も体重も計測していないくせに『計測した』と言い続けていて、それだけでも“腸煮え繰り返る”というのに、母子手帳に書き込んだ嘘の数値と違う数値が分娩記録に書かれているのだ。

裁判所を出てからそのことをすぐに弁護士さんに伝えたら、弁護士さんに被告代理人はこの書類を手渡す際に『後から書いたこと』と、『内容に間違いがある』ということを言ったそうなのだ。

なんじゃそりゃ?

そんなものでも“分娩記録”として、堂々と提出されちゃうの?

酷いもんだよなぁ。

裁判をおこす際、それなりに覚悟をした私達。

でもこんなに茶番めいたことをされて、なんだか遊び感覚の被告達って感じがしちゃうから、余計に腹が立つ。

ふざけないで、きちんとやってくれよ。

こういうことまで頼まなくちゃいけないの?

琴子の命を前にしても、こういう態度なの?

保険屋には保険屋の都合があるのだろうけど、そもそもが人の命を商売にしているわけだから、もっと真剣に命について考えられる集団であって欲しい。

助産師も、本意ではなく、保険屋の指示が大きいとしても、分娩記録を書いちゃったりしているんだから、全くもって同罪。


なんで後から書いて、更に間違いだらけだという分娩記録が提出されるのか。

これで誰が得するの?

これでもH助産師には出すだけの価値があるの?