これも宝物

今日、年末の大掃除をしていたら、ある場所から現像されないままのフィルムが何本も出てきました。

旦那は「これはなんだ?」と驚いていた。

6本、出てきた。

「なんだなんだ、何を撮ったやつだ?」

旦那は掃除の手を止め、私の方を振り返っている。

「琴子のだよ」

と私が言ったら、どうしてこんなにあるのだと、

「琴子だけじゃないだろ」

と言った。

旦那が知らなかっただけで、6本とも、全部琴子なのだ。

但し、正しくは琴子ではなく、琴子の部屋(仏壇代わりにしている琴子のスペース)を撮影したものなのだ。

琴子に供えた花が綺麗だと言っては撮影し、友人からぬいぐるみが届くと撮影していた。

いつ頃まで続けていたのか、そこまでは正確に覚えていないけど、旦那が仕事に本格的に復帰し、日中、一人でいることが平常になってからも続けていた。

琴子の姿の写真は、火葬にしてからは増えることはない。

でもしばらくはとにかく琴子を撮影したくて、生きている子供を授かった親たちがしていることを私もしたくて、その心の寂しさを埋めるために撮影していた。

ただ、途中から現像をしなくなった。

最初のうちは現像をしたのだけど、写真屋さんから渡されるものは、どれもこれも似たような画像で、もう琴子の思い出は増えることはないのだと、いちいちそれを確認してばかりだったので、現像に出すことはやめた。

そしてその内、撮影すらしなくなっていた。


ちょっぴり寂しいものだけど、このフィルムも私にとっては大事な大事な思い出。


大掃除の合間に、ちょっぴり涙ぐんでしまった。

琴子、お母さんはまだまだです。

スピリチュアルカウンセラーの江原さんに頼んで、琴子からの手紙が貰えたらどんなに嬉しいか。

でも琴子はオチビチャンのままだから、手紙なんて託すことが難しいかな。

今日、江原さんの番組をやっていたけど、ビデオで予約録画をしただけで、まだ見られない。

明日、ゆっくり観ます。

江原さん、ご縁があったら是非、琴子からの言葉をお願いします。

私は琴子が寂しくないってわかっているけど、でも心のどこかで不安なんです。

寒くないか、暑くないか、寂しくないか、お腹は空いていないか…会いたい。