小さな手にひかれて…

2週間の実家での日々がやっと終りました。

実母は相変わらず身体を労わらず、休むことを嫌っていましたが、私が家事を手伝えたこと、自分自身が一番満足しています。


実家から栃木の自宅に戻る際、栃木にきてからお世話になった恩師のご子息の結婚式が都内で挙げられるので、招待なんかされていないし、お祝いは帰省前に既に渡してあったので、わざわざリンズを連れてまで行く必要はなかったのだけど、何故かどうしても行きたくって、雨さえ降らなければ行こうと決めていたら、前日までの崩れっぱなしの天候がカラッと晴れて、途中であんまりにもリンズがぐずったらやめようとおもっていたらぐずらないし、上手い具合に電車を乗り継いで、都内某所まで出掛けて行った。

仏前の式で、新郎に縁の深い尼僧さんが若き新郎新婦に説法とでもいうのかな、祝辞を述べられたのだけど、この内容が私にとっては実に意味深く、感涙がこみあがってきた。

『結婚は浮かれるだけのことではない。

嬉しいこともある。

でも、辛いこともある。

辛いことがあったとき、ただ悲しむだけではなく、経験を活かして生きていくように、そういう夫婦になってください』

決して本文のままではないけど、このようなことを仰られた。


尼僧さんの祝辞を聞いていく中で、私の中で、琴子がこの場に私を連れてきてくれたのだと、強く感じていた。

あぁ、この言葉を私に聞かせたくって、琴子はきっと、小さくて柔らかい手で、私を一生懸命に導いてくれたのだ。

雨だったら行くのを止めよう、雨が降りそうでも止めようかなと言っていたから、朝から晴れわたる空をくれて、道中もリンズはずっと眠っていてくれたから困ることもなかった。

裁判のことも応援してくれているんだな。

色々な立場の人の意見に惑わされないようにと、琴子の親として生きている私達夫婦・両親の姿を応援してくれているんだな。


尼僧さんとも過去に面識がある。

お会いしたその頃は、尼僧さんではなかった。

西洋人である旦那さんが日本のお寺の住職さんであり、住職さんがお元気であった頃に私の旦那が仕事で一度、お世話になったことがあるのだ。

お世話になった翌年頃、急逝されてしまった。

あれから5年は経つ。

その間に、お寺の後を継がれ、とても素敵な尼僧さんになられていた。


式を終え、新郎新婦が親族や友人達に囲まれている頃、一人歩く尼僧さんと会え、私は尼僧さんとお話をすることができた。

琴子のことも話し、また、祝辞により、とても心が清らかになれたということも伝えた。

尼僧さんは

「私には子供がいないけど、でも、皆が見せてくれる子供が私達の子供なのだとおもうんですよ」

と、優しく微笑んでくださった。

そう、お釈迦様にとって、私達皆が大事な子供なんですよね。

凄く素敵な微笑だった。

琴子が

「お母さん、私は天国でいつも、このような素敵な優しい気持ちと微笑みに包まれているから安心してね」

と、そう伝えたかったのだろうと感じた。


都内から栃木に帰る電車中でも、リンズは殆ど眠っていてくれた。

お蔭で、余韻に浸ることが出来た。

これにもまた、琴子の力を感じる。

実母には

「よばれてもいない結婚式に行って、それも小さい子供がいて…あんた、非常識だよ」

と怒られたし、私も実際にそうおもう。

でも、何故かわからないけど、なんか行きたいなってジワジワと感じ始めちゃっていて、なんだか晴れちゃったし、なんだかリンズが調子良いし、どんどん式場の方へと順調に足が運ぶし…。

琴子が呼んでいただんだもん、親としては行かなきゃならんでしょうが。


とても素敵な式だった。

このブログを新郎新婦の彼らが見ることはないのだけど、この場でも、これだけ素敵な言葉を聞かせてくれたお二人に感謝の言葉を贈りたい。

どうもありがとうございます。

末永く、素敵な日々を!!