入籍記念日のプレゼント

今日、7月8日は、私達夫婦の入籍記念日。

毎年、この日を祝して何かをしていたっていうわけではないのだけど、なんとなく数日前から

何か食べに行くか、どうしようかと話していた。

でも結局、

「いいよね、今年はゆっくり家で過ごせばいいよね」

と治まっていたら、こういうのも琴子からのプレゼントなのかな、昨日になって、急に新聞社から取材の申し入れを受け、その電話のときには記念日のことなんて思い出せずにいたんだけど、今日、実際に取材を受けていたら、何処からともなく、

「あー、そうだった、今日は記念日だった」

と思い出し始めていて…


取材を受けることにより、自分の記憶だとかに、整理整頓が少しずつ出来た。

裁判の最中にもそういうことが出来ていたのだけど、弁護士さんとの打ち合わせのときとは雰囲気も違っていたし、緊張感もちょっと種類が違っていたし、やっぱり違うな。

琴子が死んでいくときの情景とかも、やけに具体的に思い出すことが出来た。

辛い記憶ではあるけど、もう誰も聞いてきてくれないことだし、聞いて欲しいと日々願っているわけなんかないんだけど、琴子のことをこうやって話せる場をもてることが、ちょっとだけ嬉しい。

ただ、悲しいのが、常に『死ななくてもよかった命』という想い。

もう琴子が死んでしまっている事実、この日々に慣れてきているから、琴子が死んでしまった上での存在というのも受け入れている。

でもそれは、あの死んでいく琴子の姿を常に思い返しているわけではないから、やっぱり心の何処かで、蓋をしているんだなって、自分でそう感じた。


記者さんはとても気を遣ってくれて、質問をしてくる度に、辛くなる私達の心情を想った言葉を下さった。

色々と矛盾したことを話してしまったかもしれないけど、結局、私の中には琴子の死を『受け入れた私』と、『まだまだ受け入れられない私』がいるのでしょうね。

泣いたら話が前に進まなくなると、弁護士さんとお話するときにも、とにかくしっかりしなくちゃっておもうんだけど、どうしても涙が出てきてしまう。


何よりも嬉しかったのは、記者さんが最初に琴子にお花をくれて、お線香をくれたこと。

これはきっと、琴子が私達にくれたお花なんだね。

『お父さん、お母さん、入籍記念日おめでとう』って。

琴子、ありがとう。

私達のもとに来てくれて、どうもありがとう。