風見しんご氏の記者会見を見て

最愛の娘さんを車の事故で亡くした方への記者の姿勢が不快でならなかった。

辛いの、あたりまえでしょうが。

いちいち

「大丈夫ですか?」

って、とにかく風見しんご氏が泣き崩れてしまう姿をテレビで流したかったのだろうな。

記者は泣いていないもんね。

大変だねって言っても、そこで仕事も忘れて一緒に泣いてくれる人ではない。

それが仕事だからってことなんだろうから、だからこそ不快。


車の事故で最愛の娘さんや息子さんを亡くしている方は、彼に限ったことではない。

どれだけ多くの方が、最愛の家族を亡くし、苦労しているのかを、私たちは忘れてはいけないのに、こうやって大きく扱われることがあると、ようやく思い出したように、口を揃えて「ひどい、ひどい」と言う。

私たちは多くの尊い命や物事を、日々、易々と受け流してしまっている。

感謝の気持ちも忘れ、自分さえ良ければいいんだって、そうはおもっていなくても、結局は同類項の意識になってしまっている。

飲酒運転だって、未だに皆無にはならない。


本当はもっと時間があるときにゆっくりと書きたいことがあり、そういうゆとりが今はなくて書けずにいるのだけど…

前にもここで何度か話している、ある助産師の話。

お産をやめた病院の施設を借りてお産を受けている助産師。

その人のところで、昨年末にお嫁さんが初産を終えた。

37週前だったかな、2300gの児で、特別な検査もなく、24時間監視されずに母子共に退院。

そこは“院内助産院”ということになるのだろう、医師が立ち会っているとのことで、助産師会に聞いたけど、

「医師が許可を出しているのだから問題ない」

とのこと。

児がその後に死んでしまっていたらどうなのだろう。

児に障害が残っていたら、どうなのだろう。

色々な疑問がある。

(この件は、また後でゆとりをもって書きます)


私たちは前進をしているのだろうか。

本当に、一つ一つの尊い命の果てを、しっかりと活かしているのだろうか。