無資格助産行為…その2

2月2日の日記に対してご意見くださった皆様に、先に感謝の言葉を述べさせていただきます。

ありがとうございます。

書き込んでから今日まで、ちょっとばかり放置してしまいましたこと、お詫びします。

でも、色々な方のご意見を伺うことが出来たので、私としては嬉しいばかりです。

そして、折角なので、まとめた形を兼ねて、あらためて日記として、この場で私から書き込ませて頂きます。

勿論、引き続きのご意見や、新しいご意見を頂ける事を望みながら…


どの法律にも言えることなのでしょうけど、“昔からの法律”に縛られっ放しの“現代の法律”に問題があるのも事実なのでしょうね。

現代の医療の進歩はめざましいものがあるはずなのに、その速度に沿って法律が変わっていかないことに、医療従事者の方たちが憤りを覚えるのは当然とおもいます。

ただ、

>内診が法的な助産行為に当たるかどうかさえ、実は厚労省の通達一切れで突然決まったわけで、それまでは何十年と何も言われなかったのです。それまで医師会は産科看護師養成学校を作り、努力してきました。そのような背景を無視し、いかにも犯罪行為のような言い方は止めていただきたく存じます。

      • この意見には、助産院で“昔のままの感覚でのお産”により子供を失った親としての憤りを覚えます。

私が選んでしまったH助産からしてみたら、『ついこの前まではどんなお産でも助産師がやっていたのに、ある日突然、通達一切れで突然決まって“逆子は扱えない”となっただけだ』の感覚と同じだからです。

いかにも犯罪行為のような言い方は止めてとあるけど、法律で禁止されていることを犯すことは、犯罪行為ではないのでしょうか。

>厚生省が出した法律の解釈は現時点の日本では守るべきことなのでしょう。法律なんだし。そして、解釈が示されたことにはそれなりの理由があるのでしょう。理由がなければ解釈など示されないはず。

      • その通りだと、私もおもっています。

また、遺族からしたら、“法律を無視した行為”は悔しくてやりきれないことだけです。

「守ってくれていたら」とおもうのは、人としては当たり前の感情ではないでしょうか。


助産師を刑事告訴しろという医師の方に、数名であれ、出会いました。

私にそこまで直接言わないだけで、そうするべきだとおもわれた方も、大勢いらっしゃるとおもいます。

※勿論、『通達の有効性に対する疑問』にあるような内容の事実への問題提議は別にあるべきだとおもいます。

医師が過労死することが正しいことだとは微塵にもおもっていません。


アメリカの話を持ち出すことに対して、私は嫌悪感はありません。

正確に言うと、どのような会話であれ、他国やよそ様の家の話を持ち出して、比較してモノをいうのは正しくないとおもうのですが、今回のように、医療の話においては、他国の現状も十分に考慮すべきことがあるとおもうからです。

但し、助産師の資格がどうのということではなくてです。

医療の進歩に『他国の知識・経験なくしては発展はない』のでしょうから、医師の方たちの場合は特に、日々の向上に他国の書籍や実績を用いられるのが現状でしょうから、それはそれでありとおもっています。

更に、私からしてみると、“助産院・自然分娩推奨派”の方たちがよく用いる“昔の日本のお産話”の方が、むしろ遠い国の話のような気がして、現代の日本のお産・女性の体にあっているかが疑問だからです。

これだけ“昔の日本”と文化(農や食も含め)が違ってしまっているのだから、『同じ日本人』という括りにはなれないとおもっています。

じゃぁアメリカが正しいのかと言われると、それも違うかなとおもいます。

矛盾を抱えたままですが…


無資格者にいろいろさせるのだから、医師が責任とるのは当たりでしょって感じ。

助産師も無資格者並の仕事しかしないと認識されるようなことはなかったのか…よく考えてほしい。

      • 全く同意見です。


私も、責任を丸投げしてくるような助産師は徹底的に糾弾してほしい。

これは母子(患者)の生命を尊重するためにも、とても重要な行為ではないでしょうか。

是非、医師の方には責任を丸投げしてくるような助産師は徹底的に糾弾してほしい


>また、正常分娩と異常分娩は区別できるものでしょうか。妊婦さんの状態をよく見ていても、モニターや計測、記録をしていなくて急変事態に対応できるのでしょうか。助産院から急変して搬送していて間に合うのでしょうか。

      • まったく同じように感じています。


助産師と産科医はそれぞれの役割があります。しかし決定的なことは帝王切開などの医療行為をできるのは医師であって、自ずから責任は医師にかかってきます。そうするとやはり理想的な体制としては助産院などのように助産師が単独で分娩を扱うのではなく、必ず医師が全体を把握している状態で分娩を扱う体制だと思います。

      • 助産師の方全員とは言いませんが、最終的な責任は医師がとるということに、私は疑問を感じています。

先日も、未熟児を扱った助産師の話があり(詳細を書くと言ったままですが…)、助産師会に疑問に感じたので問いかけたところ、その助産師はいわゆる“院内助産院”であることから、医師が許可しての当日の退院も、『医師が許可しているのだから、助産師には問題はない』の一点張りでした。

どうなのでしょうかね。

こういうのって、凄く不満におもいます。

こんなこと言っていたら、助産院が開業するために必要な嘱託医を引き受けてくれる医師すらいなくなくなり、お産難民だけじゃなく、“開業所産院難民”問題にまで発展することになるのではないでしょうか。

実際にはもうそうなのかもしれないのかな?

私としては、実際にそうなって、問題点を見直して欲しいくらいです。

私も、助産師の方には、医師と同じ責任を持って欲しいです。

特に、開業助産師の方たちは、病院までの搬送時間などを考えて、その他も含め、安全なお産のために全力を尽くして欲しい。

“自然が一番”だとか、そんなことを謳い文句にしないで欲しいです。

助産師・医師の方こそが、一番に“死”を語られるはずだからです。

※過剰な医療介入や医師が絶対に正しいなんておもっていないということも、あわせて明記しますので、誤解されませんように…


『この際だから質問!』にあるエコーなどの件でも、私の場合、琴子は出生後に強心剤を打たれています。

少なくても3回は打ちました。

助産師会に出向いた際に、この件を疑問におもって問いましたが、

『緊急時の処置なのだから、問題はない』

というような回答でした。

う〜ん、どうなのでしょうかね、私はかなり問題のあることではないかとおもっていたし、裁判でもこの件に触れられれば触れたかったけど、ここまでいかずに終わっているので…

だから私も

>これは大変問題で、助産師はエコーをしてはいけないはずです。なのに実際にはエコーをし、モニターを解釈し、ひどいところでは点滴や陣痛促進まで行っています。医師法にも違反しています。ですから医師としては無資格看護師の内診を糾弾するなら、助産院のこうした行為も糾弾されるべきと考えます。

では、現在の助産師は、医師不在でどこまでの医療行為が可能なのでしょう? 実際に法律を見ますと、助産そのものの定義も明らかでないですし、臍帯を切ることや浣腸をすること以外には、『臨時応急の手当』『当然に付随する行為』という表現になっています。助産師に許されている業務について、いくらでも拡大解釈可能な文に読めないでしょうか?

      • とおもっています。 


結局、私もただの人間ですから、個人個人の立場での話を聞いたり、意見を耳にすれば、自分に経験がない分、『それも事実なのだろう』とおもうことばかりです。

医師の方や助産師の方、看護師の方たちの意見は、それぞれにごもっともなこともあるのだろうと感じます。

それはどの職業、分野においても同じことであります。

ただ、皆さんからの意見を何遍も読み返したり、今日に限らずにいつでもおもうのですが、いつでも一番苦しんでいるのは“当事者”です。

この日記に限らず、皆さんが今日なにかで幸せを感じたり笑っている間にも、どこかでは家族を失い、お産で妻を失い、お産で子供を失い、妊娠中に生まれてくるために授かった赤ちゃんが死んでしまい、その悲しみ、苦しみに耐えている人は必ずいるのです。

私が持つべきバランスというのが、どれとどれに対してのものなのか、医師や助産師、看護師の方たちと私とのバランスを持つべきなのでしょうか。

私にはその必要性が見出せません。

勿論、医師の方たちや助産師の方たちを真っ向から無視するつもりはありません。

今回ご意見をくださった方たちに対して、どの方の意見もそれぞれの立場からくるものなのだとおもうと、個人的に意見をするつもりになれなかったのです。

そして、私は医療従事者でないからこそ、単純に怒ったり、悲しんだりすることもできるのです。


助産師の方も医師の方も、労働に見合った賃金を得ていないという問題は大きくあるのですね。

これは当然、不満におもうべきことだとおもいます。

理想論からしたら、『お金じゃない!』なんて言ってしまうのかもしれないけど、私はこういう理想はあまり正しくないとおもっています。

逆に『お金が全てだ』ともおもってもいません。

単純に、労働に見合った賃金・収入を得る権利はあるとおもっています。

私の主人がよく言う疑問なのですが、病院で産んでも助産院で産んでも自宅で産んでも、どうして妊産婦側が支払う出産費用に大差が生じないのでしょうか。

豪華な病院などで出産した場合などは別として、私は琴子を出産したH助産所では、出産前に『大体25万円』だといわれました。

正直、実際に世話になっている間に出てきた食事は、玄米菜食などのようなものではない粗食であって、いわゆる“スーパーのお惣菜”が殆どでした。

陣痛が本格的になる前に2度ほど食事を出されていたのですが、そのときに

「これでも25万円なの?」

と、のんきに考えていたことを覚えています。

ちなみに、H助産所にはエコーもなにもないです。

機械があれば高くても当然とおもうわけではないのですが、主人が

助産師の家の中の畳の一室で、医療器具もない(注射はありましたけど…)のに、なんであんなにするんだ?」

は、私も感じるところがあります。


今度はリンズのお産ですが、総合病院でのお産でしたが、平日の昼間のお産、5日間の入院も含め、約41万円でした。

地域差があるとしても、助産師会でも言っていましたが、『自宅出産の方が高い場合がある』というのはどうしてなのでしょうか。

責任の重さからしても、助産院・自宅出産の場合は、いずれにしても医療介入がない分、かかる費用も安くなるはずではないのでしょうか。

これは“価格破壊”があってはならないからなのでしょうか。

なにかあったら病院なわけですよね?

どうしてこんなにするのでしょうか。

それなのに、病院などで募集する額が13万円だとかって、どうしてこんなにも差があるのでしょうか。



職業、立場、経験の違いなどで、意見の差が生じることは当然とおもっていますが、母子共の生命の安全が最優先されるのが大前提であって欲しいです。