『お産革命』

2008年1月14日の当ブログ『警鐘すら鳴らせずに苦しんでいる方たちがいる』にくださった、フィッシュさんのコメントを紹介させてください。

太文字がフィッシュさんからのコメントより引用部です。

ちなみに、フィッシュさんのご職業は、病院勤務助産師です。


私が助産師になった頃は、ちょど「お産革命」の影響で病院分娩に対する反省や改善が出始めていた頃でした。立会い分娩や母児同室などを取り入れる病院がぼちぼち出てきていました。出産も、女性が受身ではなく「主体的に」迎えるように産前クラスできちんと学ぼうという意識が高まった時期でした。

ですから、この時期に助産師になった人たちは、多かれ少なかれ、この時代の影響を受けているのだと思います。

こういう時代があったんですね…

『お産革命』で検索したら、本がありました。


絶版されているようですが、古本で探してみます。

そして、検索した中で、『戦後日本の自然出産の流れと女性と助産師との関係』を知りました。

印刷して読みます。

ざーっと読んだ限りでは、自宅出産、助産院での出産ももっと増えるようにしたいってことなんですが、搬送の話はないようです。

助産院で、よりよい出産体験をした女性たち”という言葉が何度も繰り返し、使われています。

よりよい出産をこれだけの人がしたのだからと、助産院での出産がいかに素晴らしいかを語られたいのだとおもいますが、“助産院・自宅出産でこれだけの辛くて悲しいおもいをした人がいるのだ”ということもお願いしたいです。



この「自然なお産」へのイメージに対して、病院でもさまざまな改善がされてきたと思います。陣痛室から分娩室まで夫や子供が立ち会えるようにしたり、入院中も夫が赤ちゃんと過ごすことができたり、分娩方法も画一の姿勢ではなくしたり・・・。20数年ほどで、病院での分娩環境も相当改善されたように思います。何より周産期医学が進んで、リスクの高い母子(正常な経過でもいつでも誰でも危険な状況になることも含めて)への治療が進歩して、たくさんのお母さん、赤ちゃんが助かったと思います。そして、日本は国民皆保険で守られているので、治療費も心配しないでいられます。


何をもって「満足なお産」とするのか。助産師側から「病院VS助産院」のような対立を招いてはいけないと思います。自分の技術(助産)に過度の自信を持ってもいけないと思います。

昔の日本や、今世界中で医療機関にアクセスできない地域の人であれば、助産師単独による出産介助もあり得るでしょう。帝王切開を受けるのにも何時間も移動しなければならなかったり、手術に使用する点滴を家族が自費で買わなければいけないような国もたくさんあります。1960年より前は、日本だってそんな状況だったのですから。

産科医や小児科医がいつでも母子を見てくれる恵まれた医療システムを守っていくことが、「満足なお産」の一番大切なことだと思います。


フィッシュさん、いつも貴重なご意見をくださり、有難うございます。

助産師の方から、

産科医や小児科医がいつでも母子を見てくれる恵まれた医療システムを守っていくことが、「満足なお産」の一番大切なことだと思います

という言葉を伺えるのは、とても嬉しいですし、フィッシュさんのいる病院で出産に挑める方が、羨ましいです。

私は琴子を出産するまで、目の前にある医療は当たり前のものであって、私がSOSを出せば、いつでも当たり前のように助けてくれる、“何かあっても死ぬのは最後”だという、甘い考えが沢山ありました。

死は人の最期ではあるけれども、年齢から考えるとまだまだ先のことのような気がしていて、でも実は目の前にあるかもしれず、それがましてやお産という、これから人が生まれてくるという場面で、一番若いはずの子供が死ぬことまで、具体的には全く想像が出来ずにいました。

私が無茶な生活をすることで、今一番に医療を必要としている人から医療を奪ってしまうかもしれないとか、考えが至らないことが多くありました。


くださったご意見から、色々と沢山のことを考えております。

今日も整理がついていないままなのですが…