お線香の香り

助産院を選択される方や、助産師の方に限ったわけではないけれども、

アロマテラピー

を大事にする方に出会うと、お線香を勧めたくなる。

私の家では、2003年8月31日以来、家の中でお線香の香りが絶えない。

最近では多くても日に3本くらい。

『昔は』と言う助産院が多く、また、『アロマを用いて』とする助産院も多い。

昔の日本、とりわけお産を昔に戻すことを望む方たちが何故、お線香ではなくてアロマなのか。

マタニティヨガも、それを昔の人はしていたのだろうか。

そんな時間もなく、農業や家事にと身体を動かしていただけではないだろうか。

当然、自宅で産むのが当たり前だったのだろうが、母子が死ぬことも多かった。

昔の家庭で香るお線香が誰を想ってのものだったのか、それはもしかしたら若くして亡くなった母親のためか、亡児へのものもあっただろう。

私はそこまで深く“昔のお産”を知らないで、それでも人や本やテレビから“昔のお産”に魅了され、結果、亡児を想い、お線香を絶やさない。

昔の人が望んでいた医療を知らず、ひたすらに医療から離れることこそが親の役目だと信じていたのだとおもう。


毎朝、お線香の香りが家の中にただよう度に、琴子が死んだことを心に刻んでいる。

私がどんなに笑っていても、琴子がどうして死んだのかを忘れることはない。

やはり、私の選択が間違っていたのだ。

私がもっと正しいことを知るべきだったし、“そんなつもりはなかった”とおもいつつ、どこかで得る情報の偏りに気が付くべきもまた、私だったのだ。