『知る』ということ

今日は久々になったこともあって、自分の気持ちの整理も兼ねて書かせてください。地方産科医さんから頂いた

「科学的根拠に基づく快適な妊娠出産のためのガイドラインの開発に関する研究」報告書

については後日(なるべく近日中)に…



どこかの掲示板で、お産の訴訟について書き込んでいる数々のコメントの中に、

『マスコミが伝えないだけで、本当は産む前に知っておくべきことがある』

というような言葉を見ました。

その通りだと思います。

医師や助産師、看護師並みの知識を得るのは無理だし、そこまでのことをする必要はないとおもいますが、今、私たち産む側が得られる情報には偏りが多く、

"自然分娩"

という言葉が何を指しているのか、どこまでのことを言っているのかがはっきりとされていないのだけど、時に病院でのお産を『人工的なお産』と批判する方もいたりすると、まるで病院でのお産は不自然で、助産院や自宅で産むお産こそが理想的なお産だと語っているようなもので、最初に誰がどのような意からその言葉を使い始めたのかは分からないけど、言葉が独り歩きしているのか、それらの解釈があまりにも自由で、多分、医師の方たちがおもっている以上に、私たちは"無事に生まれることが当たり前"になってしまっています。



先週、三日連続で一日一人、天使ママさんに会いました。

三人とも、琴子を誕生死したことで知り合ったママさん達で、あの地獄の日々を共に歩んでくれたママさんたち。

私が琴子を亡くさずにいたら、きっと出合うことのない方達で、私はあの無知のまま、それなりに生きていたとおもいます。

それに憧れる気持ちがありつつも、琴子を亡くしたことで得たものを手放す勇気もありません。

琴子を亡くして得たことが、今では琴子でもあります。


知っておくべきことがこんなにもあったのかと、琴子のお陰で沢山の勉強をさせてもらっています。

最近の分娩台考についても、まだまだ勉強をするべきことがあるのだとおもうのと共に、

『分娩台の上で産むなんて…!』

と言いたい人たちとの出会いもあります。

自宅出産のリスクも、最近深く考えさせられる方と出会いました。


私を救ってくれた天使ママさんたちの多くが、

『産む前に知っておきたかった』

と嘆かれています。

当ブログでこの話は何度もしているとおもうのですが、私のような事例ではなく、避けようもない事態でお子さんを亡くされた方でさえ、

『産む前に知っておきたかった』

と言われるのです。

避けようもないことだったと説明を受けても尚、

『それでも自分が知っていれば、避けられることもあったのではないか』

と自分を責められたりもしているのです。

この苦しみを、私は無駄にしないで欲しいのです。


どこで産むか、どうやって産むかよりも、もっと重要で、知るべき情報があるということを知って欲しい、考えて欲しいとおもっています。

テレビや雑誌、書籍では病院での事故の話しばかりです。

でも、助産院や自宅でも事故は起こっています。


お産は病気ではないということ、医療の進歩のお陰で母子の死亡率が下がっていることから、お産のリスクを知らない私達が増えています。

『病気じゃないからこそ、怖いんだ』

という医師の方の声−もっともっと、知って欲しいと願います。


私は子供が死んだことで、やっと多くのことを知ることができました。

でも、これからの方には、子どもを亡くさないためにも、多くのことを知って欲しいと願っています。

天使ママさんたちは私にとって大切な存在ですが、天使ママさんたちがこれから先も増えることなんて祈っていません、今日が最後であって欲しいと願っています。

叶わなくても、 願っています。