夢ばかり描く日々

現代に生きる私たちはついつい、死ぬなんていうのはよほどのことだって想いがちだけど、お産に限らず、いつだって私たちはすぐに死んでしまうかもしれない可能性と共に生きている。
妊娠して安定期というものに入ったら、あとは臨月、出産日を待つばかり…もしかしたら難産にはなるのかな、そうでなければいいなぁくらいの心配で、後は折角だから今のうちに旅行とか、遊べるうちに遊んじゃえ! っていう感覚の妊婦さんの方が圧倒的に多いはず。
もしくは、「昔のお産」に憧れて、無理してたくさん歩いたり、急に食事を偏らせたり…

妊娠して、ある程度の時期が来たら後は生まれる日を待つだけ。
生まれる日が来たら、その後からは育児が始まるんだな、家族が増えるんだな…って、そればっかり考えて、生まれる前から増える家族に足りないものを買ったり…

琴子が生まれる前に、夫婦でぬいぐるみを一つずつ作って待っていた。
それは棺おけに入れた。
まさか棺おけに入れることになるなんておもわなくて、作っている時は夫婦でお互いのものを笑ったりして、とにかく楽しかった。
琴子の死装束は、父親が琴子の生まれるのを楽しみにして編んだチョッキ。
琴子が半年になる冬の頃にとおもって編んでいたのに、まさか死んで、棺おけに入れるときに袖を通してやるなんておもってもいなかった。
誰だって、子どもが死ぬとおもって用意をするはずはない。
だからだろう、昔は生まれる前から用意をすることを否定していた。
まずは元気に生むこと−これがどれほど難しいことだったのかを知らされるばかり。

明日は入り盆ですね。
ご先祖様に預けっぱなしの琴子ですが、いつも一緒にいるとわかっている琴子ですが、お客様として扱われることにちょっと嬉しいかな、照れているかな、もう6歳になるからきちんと座っているかな、そこにいるかなっておもうばかりです。
琴子が座ってくれるよう、可愛い座布団を用意します。