スモークさんへ

くださったご意見から色々と考えさせていただきました、ご意見、有難うございます。

VK2の問題を追っていて、
このブログの存在を知りました。

数あるブログの中からみつけてくださり、有難うございます。
VK2の問題からとありますが、現状、そちらへのご意見はどのようになっていらっしゃるのでしょうか。


いろんな意味でとても残念だし、
気の毒です。
(お子さんが亡くなったことが、ではありません)

私のために沈んでくださり、有難うございます。
でもどうか、御気になさらないでください、私自身は子供が亡くなったこと以上に残念なことはありませんので、ご安心ください。


吉村先生の著書は最後まで読むこともできなかったのに、
フィリピンの助産師さんのブログを読んだだけなのに、
わかったような口ぶりで批判されることに、
私は違和感を覚えます。

すみませんが、どう考えたらこのような理屈になるのか、私には全く分かりません。
ので、“違和感を覚えられることに違和感”という感じです。


なぜ、
吉村医院で死産があっても
訴訟が起きないのでしょう。

これは他の方がスモークさんに書かれているように、私も“教祖と信者の関係”という言葉が一番的確な、分かりやすい例えだとおもいます。
私自身、信者だったと言われればそうだったとおもいます、自然分娩を熱心に信仰するということです。
でも、私はスモークさんからしたら結局は熱心ではなかったのかもしれませんね、洗脳から解かれたんです、子供が死んで、周囲からの言葉を拾い集めて疑問を感じて…

吉村医院以外でも、死産があっても訴えられていない開業助産師の方が数は多いとおもいますよ。
どうしてか? それは、スモークさんのような方に蓋をされたりして、疑問に感じているんだけど、更に『そういうところを選んだお前が悪い』と身内の誰か一人にでも言われたりすると、もうそこから出てこられないっていう人も居るんですよ。
訴えられていないから問題がないっていうのはおかしいでしょう?

私は助産院や自宅出産、自然分娩に固執したから子供が死んだという方に「訴えろ!」なんておもっていませんよ、訴えないでいる方もそれを間違っているとはおもっていません。
事実、ご相談くださる方に「訴えましょう」と私から言うことはしていませんので、そこら辺は勝手に想像で私を作り上げないで欲しいです、今後のために申し上げるまでです。

私自身、訴えようかどうかと悩んだ日々の苦しみも知っているし、また、訴えたことで得た苦しみもありますからね。
訴訟するしないのいずれにしても、出された結論に対して、一緒に歩めることがあれば歩みたいとおもっているだけです。
どうしてか? 子供が死ぬとですね、まず、スモークさんのようなご意見を多く言われるんです。
違う言葉であったりもしますが、要は同じなんです。
これは不思議ですよね、病院でちょっとイヤなことがあった人たちは、子供達が元気で生きているというのに、『暴力的なお産をされた』とか、もうそりゃ酷い例えを用いて、いつまでもいつまでも引き摺りあうことを許しあうのに、『子供が死にました』と報告すると、途端に
「いつまでも言ってないで忘れろ!」
「それがその子の運命だったのだ!」
と言うんですよ。
こういうことには違和感を覚えられませんか?
私はこういうことに、違和感を覚えたんです。

“死んだ子の数をかぞえるな”と言いますよね。
この言葉の真意をご存知ですか?
死んだ子の数(年)を親は必ず数えちゃうから、だからそれを逆説にしたそうです。
どの時代でも、親はいくつになっても、亡くなった子供のことを忘れないということです。
それが特に昔は当たり前にあったから、いわゆる、ブラックユーモアだったそうですよ。


なぜ、フィリピンの助産師さんが、
有資格者としては批判されることがわかっていながら、
敢えて自分の出産をブログで公開したのでしょう。
その2つの意味を、
琴子の母さんは考えたことがありますか?

他の方のご意見にもありましたが、批判されることという自覚はなかったんだろうとおもいます。
しかしこの問題はこのフィリピンの助産師の方だけではなく、この話を疑問に感ずる事無く掲載した出版社や、内容を把握していても叱責一つされぬ助産師会等、この方が所属している各団体にも、監督義務の問題があるとおもいます。
やはり、公の場での発言には責任を持つべきです。
そういう意味では、出版物以外のブログでも、発言内容は有資格者としてのものとして、監督されるべきではないかとおもいますよ。

二つ意味があるそうですが、具体的に教えてください。
私には分かりませんので、ご存知ならば、教えてください。
その方が話が早いです。


琴子さんは、
あなたを選んで生まれて来ました。
数時間で昇天することをわかって、
あなたを母として選びました。
そのことの意味を、
あなたは理解されているのでしょうか?

全く理解しません。
出来ないのではなくて、理解しません。
これに関しては、ご意見くださった方からスモークさんへのご質問があり、それををそのまま、私もお願いします。
下記ですので、お願いしますね。

生まれてくる命でも、生まれた国によって赤ちゃんの死亡率が変わります。なぜ、アフガンで生まれる赤ちゃんはアフガンの国にいる女性を母親にを選んだのですか?なぜ、日本で生まれた赤ちゃんは日本の国にいる女性を母親に選んだのですか?この違いと意味を具体的に教えてください。

スモークさんの仰ることが正しいとしたら、世界中の、先進国からの救援、寄付等一切不要となりますし、また、フィリピンで助産師をされている方も、フィリピンで助産師をする必要はないですよね?


スモークさんのご意見は、何処かで集まる仲間の中では通用することなのかもしれません、でもそれは、私からしたら
『子供の命よりも大事なのは私』
というようにしか見えないんです。
養子縁組であれ、親となったのならば、そこからは親として子供のために生きるというのが、運命ではないでしょうか。
でもだからって、親に虐待されて亡くなってしまうとか、辛いおもいをしている子達もそれが運命だったと言って片付けるべきだとはおもわないし、残念ですが、スモークさんの意見はこの残念にあてはまってしまいます。

助産院や自宅出産を素晴らしいとお考えのお方でしたら、是非、助産院や自宅出産で、開業助産師による判断や指導によって子供が死ぬとか、母体に傷が残る、子供が植物人間になるということが今後一切起こらないように、どんな些細なことでも根から絶つ必要があると、一緒に考えていってもらえたらとおもっております。
尚、批判や反論は是非伺いますが、誹謗中傷でしたらそれなりの対応をさせて頂いております。

宜しくお願いいたします。