“いいお産”とは何か? −3 産婆から助産師への歴史と業務拡大について

過去の“いいお産”とは何か?-1、2に続きます。

いつも私に課題を送ってくださるふぃっしゅさんに感謝です。

「産科と婦人科」2010年10号の特集記事【産科医と助産師との連携はどこまでできる】を読んで考えます。
特集記事は

  1. 保健師助産師看護師法助産師の業務 /岡本喜代子著(社団法人日本助産師会
  2. 欧米助産師の業務範囲と医師との連携 /大石時子(天使大学大学院助産研究科)、日方圭子(Whittington HospitalNHS Trust)、宮本涼子(天使大学大学院助産研究科)共著
  3. ナースプラクティショナー制度と助産師 /遠藤俊子(京都橋大学看護学部

の3部作になっています。
今日は岡本さんの記事を読んでの感想です。長くなるのと、気になることが幾つかあったので、お題目をそれぞれ別にして書きたいとおもいます。今回は産婆から助産師への歴史と業務拡大について。

註;記事内容全てにおいて、強調しているのは私琴子の母です
要旨から始まります。

 約60年前に制定された保健師助産師看護師法により,現在の助産師業務が規定されており,この間の産科学の進歩等を視野に入れた現実の対応面での解釈が必要であろう.関連の深い産科医・小児科医や看護師との役割分担と連携が重要である.臨時応急の手当ての事項に関する業務拡大は検討が必要な時期にきていると考える.
key Worde 役割分担,連携,業務拡大

そして本文が始まりますが、

 現在の助産師の業務は,昭和23年に制定された保健師助産師看護師法(当時の名称は助産婦看護婦保健婦法,以後保助看法という)に依っている.制定からはや60年が経過し,その間,平成14年3月に名称が「婦」から「師」に変更された.しかし,助産師にとっての業務の大きな変更・拡大に繋がる内容の変更はなされていない.

岡本さんが不満におもっていることが伝わってきますが、私はどうして不満におもうのかが謎です。出産には医療介入は消極的であるべきだというようなことを仰っていたと思うんです、それは岡本さんだけではなく、もっと過激に「病院で生まれた子供は可哀相だ」とまでして発言、活動をしている(過去形にするつもりはありません)のだから、業務の大きな変更・拡大は必要なはずがない。むしろ、「助産師にはもっと医療で重要な場面のご活躍を」と頼まれたら、「とんでもない!出産は本来、女性が産む力を持っていて、私たちは見守るだけなんですから、今のままで十分です、何もさせないでください」と言うべきではないでしょうか。
本文内では【保助看法制定以前の助産師に関連する法律の変遷】で助産師の法律の歴史に触れいている。一番古い法律は明治元年に出された太政官布告だそうで、

当時一般的であった堕胎や薬剤の使用を禁じている.

とあるのだが、それまでは許されていたと言うことらしい。

明治7年に,わが国初の医師制度である医制が出された.そのなかに第50〜52条に産婆に関する条項があり、産婆は免許制になった.職業的に産科医との役割の違いが明確になった.産婆は医師の指示に従うべきこと,薬剤と産科機器の使用の禁止が規定された.産婆の年齢条件が40歳以上となっていた(実質的にはそのまま実施に至らず,実際には各地域の取り締まり規則に縛られていた)

明治元年の段階で、既に薬剤は禁止されたのだから、改めて産科機器の使用の禁止が加えられたということでしょうか。明治のこの頃にあった産科機器とはどんなものだったのか、私にはちょっと分からないです。この後明治32年にも法律に手が加えられたそうで、

年齢は満20歳以上になった.

そうです。

次のお題目が【幻の「助産師法案」】とあります。

昭和6年頃から昭和13年頃に産婆と産科医との業務分担を明確にし、産婆の業務を拡大していこうとする動向があった.特に,昭和12年に日本助産医学会は議員立法としてこの「助産師法案」が提案した.内容的に表1のように業務拡大につながる画期的なものであった.数次にわたって衆議院を通過しながら成立せず,幻の法案として消えていった.
あれから73年が経つが、いまだに業務拡大はなされておらず,分娩の緊急時の対応等の助産業務の拡大は,現在の助産師にとって大きな課題である.

とあって、本文内の表1として記された内容がこれ↓

助産師法〉
第十一条 助産師ハ妊婦,産婦,褥婦又ハ胎児,初生児ニ対シ外科手術ヲ行ヒ産科機械ヲ用ヰ薬品ヲ授与シ又ハ之ガ指示ヲ為スコトヲ得ズ,但シ消毒ヲ行ヒ臍帯ヲ切リ灌腸ヲ施ス類ハ此ノ限リニ在ラズ
助産師ニシテ命令ノ定ムル所ニ依リ特別ノ講習ヲ受ケ地方長官ノ認定ヲ得タル者ハ救急ノ手当トシテ助産ニ必要ナル皮下注射(強心剤,止血剤,陣痛促進剤ノ注射)側方切開術及初生児仮死蘇生剤注射ヲ施スコトヲ得
(日本助産医学会)

「側方切開術」で検索しても、肛門科のものばかりです、どなたか教えていただけないでしょうか。
正しいことを知る前ですが…これは会陰切開に関することなのかな?って感じましたが、実際に肛門まで傷が至ってしまった方の話も聞いていますので、やはり適切に切開をしないと酷い結果になるということを当時から把握していたということを感じました。

戦後,医療全般の改革はGHQの指導のもとに整備されていったが,アメリカには当時専門職として助産師は存在していなかったため,日本の産婆を取り上げ婆さんと勘違いされた.

取り上げ婆さんと勘違いされたとあるのですが、取り上げ婆さんと産婆の違いは何か分からず、検索してみたのですが、
取り上げ婆とは - Weblio辞書
で、やはり同じではないかと私もおもうんですが、これについてもお詳しい方いらしたら是非、お願いします。
このGHQの勘違いのせいで、産婆不要論が出て,助産師,保健師,看護師の3つの資格を1つにする「保健師法案」が検討されたそうですが、時期尚早で採用されなかったそうです。

昭和22年に産婆規則は助産婦規則に変わった.内容的な変更はなかった.

と、歴史については締め括られていますが、多分、名ばかりが変わっているだけではないかと、不満なんだということばかり伝わってきます。それまでは「特技」としてあったような産婆が「特別な技術を習得」して助産婦となることで、専門的な教育を受ける必要が出来た。だから、やれることも当然、“産婆”とは違うはずだ!ということなんだとおもいます。私は医療に関する資格も知識もありませんから、産婆と助産師との差を正しく語ることは出来ませんが、助産医になるような動きとかは、起因がここにあるようにおもいます。でも、それはちょっとどうかとおもってしまうんです、産婆とは違うのだから、会陰切開もできるはずだというのであるならば、やはり医師になるべきではないでしょうか。過去の発言や行動と矛盾することばかりだとおもいます。そして、私は「助産師に業務拡大を私たちは求めているのだろうか」と、産む側、受ける側にも聞きたいです。